2010年12月16日木曜日

平成22年12月朝参りお知らせ


12月8日納経会(成道会)、本尊様の台座に経石を投入している写経会メンバー

 SF映画「ターミネーター」は、コンピューターが支配するロボットによって人類の未来が脅かされるストーリーですが、それが現実になるかもしれません。
 NHK番組クローズアップ現代で先月にアメリカのロボット兵器が紹介されていました。アフガニスタンやイラクなど世界各地に軍隊を派遣して戦っているアメリカは、兵士の安全のためにロボット兵器を積極的に導入しています。
 合金や強化プラスチックで作られたロボットは、潜んでいる敵を見つけ出すために暗夜や地中でも捜索できるハイテクセンサーを備えたものや、銃弾だけでなく、火焔を噴射しロケット弾を発射できるものなど、いわゆる殺人マシーンです。
 プレデター(捕食者;なんともおぞましい名前です)という無人偵察機は、数万キロ離れたアメリカ本土のセンターから人工衛星を使って遠隔操作されています。音の発生を極力抑えた設計で、上空から忍び寄って敵と思われる人間や施設を攻撃します。誤認によって殺された人も多いということです。
 操作をしている人の中には、若い女性もいます。おそらくは知能指数が高くコンピューターに通じ軍人としての教育を受けた優秀な人達でしょうが、勤務が終えればソフトドリンクを飲みながら友達とのおしゃべりに笑い転げる女の子という感じです。インタビューを受けた女性は、この仕事を”おもしろい”と語っていました。
 彼女たちに殺される兵士たちにも、家族があり、友があり、人生への熱い思いがあるはずですが、彼女らにはそれが見えません。人間ではなくただ抹消すべき敵なのです。彼女たちは無邪気にアメリカの正義を信じています。
 本当に恐ろしいのは、この世に生きているのは同じ人間であるという共感を失って、自分たちの世界観から生まれた「正義」を振りかざして、敵を作り出していく人達の心です。それがロボット兵器を生み出しています。たとえアメリカの民主主義がいかに素晴らしくても、それを相対化してみる柔らかい心を持たないと、人類は滅びます。
 平成22年12月15日
                                   祥雲寺住職 安藤明之

 十八日の観音様の朝詣りは
 午前6時半から行います。

2010年12月15日水曜日

平成22年無縁供養、水子地蔵尊大祭

毎年12月1日は祥雲寺の無縁供養、水子地蔵尊大祭の日です。
今年は酷暑の為冬は大分寒くなると予報されていたのですが
この日は例年からするとありえないほどに気温の高い晴れ日になってくれました。


祥雲寺本堂裏手、羅漢渓に新しく彫りあがった羅漢様をお迎えしました。
毎年7月7日のべんてんまつりか無縁供養の日に合わせてお迎えし、開眼供養の法要を行います。


10時から羅漢渓の中央、お釈迦様の前で開眼供養を始めました。
羅漢様を彫っている石彫会の皆さんが列席し、香を薫じて新しい羅漢様をお迎えします。


11時からは庫裏の横手、無縁供養塔に移り、例年通り無縁供養が行われました。

祥雲寺の無縁供養は天明年間(二百二十年前)に起源を持つ伝統行事です。
私たちは肉親の為に一周忌、三回忌といった法要を営んで供養いたします。
またお施餓鬼には先祖代々の諸霊位の供養を致します。
こうした供養は、亡き方々の冥福を祈ることであると同時に、それらの方々から受けた諸々の恩に対する報恩感謝の行為でもあります。
けれども、ひるがえってよく考えてみますと、私たちが今日あるのは、ただ血のつながった人々の恩によってあるだけではありません。
私たちが日々生活していく中でめぐり会った人々、たとえば職場で苦楽を共にした人々、さらには太古の昔よりの天の恵み、地の恵み、生きとし生けるもの全ての恵みによって私たちがあるのです。 
無縁供養はこうした一見無縁であるけれども、実は目に見えない形で私たちに恵みを与えているもろもろの人々、ひいては天地万物に対しての報恩感謝の供養であり、最高の供養といわれるものです。 


無縁供養に引き続き、水子地蔵尊大祭となります。
ご詠歌講の皆さんがお唱えする中で参加者が水子地蔵様に香を薫じ、赤ん坊の冥福を地蔵様にお祈りします。
例年はドラム缶に薪をくべて暖をとりながら法要を行うのですが、
今年は12月にもなって周囲を虫が飛び回るほどに暖かい天気の中で勤まりました。


法要が全て終わり、庫裏の中に移ってお食事の時間となります。
今年も甘酒を作って皆さんにふるまいました。


午後は無縁供養記念行事となります。
今年は篠笛の演奏家、狩野嘉宏さんに演奏をお願いしました。
屋外から演奏を始め、お弟子さんと協奏しながら盛り上げて最高潮の所で演奏台に登檀して場を沸かせてくれました。


約一時間、色々と懐かしい曲を交えながら
素朴な篠笛の音色を堪能させていただきました。

古典芸能の舞台以外では聞く機会の少ない楽器ですが、日本人ならば誰でもが郷愁に誘われてしまう、心安らぐ音色だと思います。


本堂入り口の横には
陶芸教室参加者の制作した器と
アレンジメントフラワー教室で作った花飾りが展示されました。

まだ時間としては3時少しなのに、外から差し込む光はもう夕陽の様相を呈しています。
気温こそ10月並みではありましたが、
秋の終わりと冬の時節の到来を感じました。


2010年11月29日月曜日

第28回仏教を知る会(11月26日)


11月も終わりになると紅葉もほぼ散ってしまい、
日々冬の到来を間近に感じてきます

去る11月の26日、第28回となる「仏教を知る会」がこの秋も開催されました。
祥雲寺では年2回、春と秋に婦人会協力のもと仏教勉強会を開催しています。


開催にあたり、まず最初に本堂にて仏様に礼拝の法要を行います。



法要の中で御本尊に焼香をしています。



本堂での礼拝が終わり、午前中は住職によるお経の講義となります。
ここ数年は曹洞宗の開祖道元禅師のお言葉を集めた『修証義』の解説をしています。

毎回午後は様々な分野に長じた人を招き、講義をお願いしています。
今回は東京にあるお香を扱う上信堂の社長さんにお越し頂き、
仏教とともに歩んできたお香の歴史についてお話しいただきました。


そしてただお話し頂くだけではなく、実際に参加者がお香を調合して
オリジナルの匂い袋を作ってみる実演まで用意してくださいました。


上の写真は白檀や龍脳、安息香や木香など香木の粉末と
それを混合してシェイクする道具です。


ブレンドした香木を嗅いで調節をしています。
十種類近くの香木の粉末を指定の量混ぜ合わせ、
振って匂いを確認しながら自分好みの香りにしていきます。

参加者全員初めての経験に大賑わいになってしまい、
社長さんやスタッフさんの声が聞き取りにくくなってしまうほど賑やかになってしまいました。


完成した匂い袋。
社長さんが言うには、同じ手順で作っても
作った人それぞれが違う香りになってしまうのだそうです。

世界に一つだけの、オリジナルの匂い袋ができた、と思うと少し嬉しく感じます。

とても為になる、楽しい講義になりました。





2010年11月18日木曜日

この秋の祥雲寺(後)

引き続きこの秋祥雲寺で行われた行事等の写真を掲載します。


こちらは毎月石彫会と共に行っています羅漢拝です。
十六羅漢はお釈迦様の高弟で
祥雲寺では本堂の横に石像を祀っており、
毎月お参りのお唱えをしています。


秋の陽光を受けながら、各羅漢様を讃えるお唱えを詠みあげています。

11月16日、梅花流御詠歌検定の日です。
御詠歌とは仏様の教えを歌にして唱えるもので、曹洞宗のそれは梅花流と呼ばれています。
全国各地で普及実践されていますが、この日は県内で練習されている人を対象とした昇級試験を祥雲寺で行いました。

本堂で本尊様(お釈迦様)へのお参りの法要。
県内各地より120人超の人が集まられたので両側が一杯になってしまいました。

法要の途中で仏様を讃えるご詠歌をお唱えしています。
小さな鉦を打ち、鈴を鳴らして100人以上の合唱が本堂一杯涼やかに荘厳に響き渡りました。

検定待ちの方々。
「緊張感に満ちた笑顔を一枚ください」と言って撮影したら大笑いされてしまいました。

検定会場。
正座が難しい方は机を出し、大丈夫な方は絨毯に座ってお唱えを始めます。
お唱えが終わった後は講評を受け、良かった点悪かった点の指導を受けます。

この日の屋外。
気温は若干下がりましたが、紅葉はまさに見ごろを迎え
大勢が集まるのに素晴らしい日となりました。



本堂横手のもみじ。


本堂正面の銀杏。奥に八幡山タワー。
イチョウが見ごろを迎えると、秋の終わりもそろそろなのだと感じます。




2010年11月17日水曜日

この秋の祥雲寺(前)

丁度昨日から気温がぐんと下がり、
秋もいよいよ終わりの時期に差し掛かったのだと実感させてくれます。

今回はこの秋に祥雲寺で行いました諸々の講座、行事等の一部写真をあげてみます。

こちらは毎月第2水曜に行っていますフラワーアレンジメント教室の写真です。

近くの花屋さんに講師をお願いして、季節の花を使って様々な飾り付けを試しています。



参加者赤ちゃんと一緒に完成品を撮影。


こちらは第1、第3火曜日に行っています、茶道教室の稽古写真です。



裏千家の師匠の指導のもと、午後いっぱいに行っています。
概ね女性ばかりの教室でしたが、最近2人目の男性が加わりますます活発になってきました。


去る11月6日、祥雲寺庫裡を会場として宇都宮市小中学生囲碁大会が行われました。
爽やかな秋晴れの日、参加児童42名、家族指導者併せて60名ほどが庫裡2階で膝つき合わせて打つ手に一喜一憂していました。


お昼の前に集合写真。
対局が済んだ子から、紅葉の彩り鮮やかになりだした境内に飛び出して遊んでいたようです。
昔ほどには外で遊ぶ機会も減って、逆に自然の中を新鮮に感じているようでしたが、
境内の崖にぞろぞろと登りだしたときはヒヤヒヤしました。

2010年11月15日月曜日

平成22年11月朝参りお知らせ


菊の大輪(於 庫裏前)


菊を采(と)る東籬(とうり)の下、悠然として南山を見る
                        陶淵明の詩「飲酒」の一節
  [意味]我が家の東側の籬(まがき)のもとの菊を手折り、
      ゆったりした心持ちで南の山を眺めている。
 中国南朝の詩人陶淵明が、故郷に隠棲した日常を詠んだ詩の一節です。漢文訓読みにすると、散文では伝わらない詩人の清澄な心持ちが伝わってくると思います。
 清澄さを際立たせているのが菊の花です。菊は気品ある姿ときよらかな香りによって長く尊ばれてきました。中国原産で、日本には平安時代の初め頃に入ってきました。王朝時代には中国文化の薫りを伝えるエキゾチックな花として珍重されました。
 晩秋、菊の花が咲くと秋も終わりになります。菊より後に咲く秋の花はない、それもこの花が珍重される理由でした。

 心あてに 折らばや折らむ はつ霜の
        おきまどはせる 白菊の花   (凡河内躬恒)

 百人一首でおなじみのこの歌でも、初霜に凛然と咲く菊の気品が伝わってきます。日本人の感性に合ったのでしょう、「春の桜」に対する「秋の菊」として日本を代表する花になりました。後鳥羽上皇が手回りの品に菊の紋を用いてから皇室の紋となり、日本の象徴となりました。
 ヨーロッパには18世紀に中国から移入され、さらに幕末の日本から伝えられて人気のある花になりました。フランスなどの国では墓参の花として用いられ、洋菊として逆輸入され葬儀の際の献花に用いられています。アメリカで開発された大量栽培が可能な品種が用いられているのですが、消耗品扱いされて粗末にされているのを見ると悲しくなります。菊花は日本人の心映えを象徴する花だと思うのです。
 祥雲寺の受け付け庫院の入り口には、今年も別井保行さんが持ってきてくれた鉢が並んでいます。一鉢で三輪ずつ、三鉢で計九輪の菊です。丹精の程が偲ばれる見事な大輪の花が参詣の方々を楽しませてくれています。

 平成22年11月15日

                                  祥雲寺住職  安藤明之


十八日の観音様の朝詣りは
午前6時半から行います。

2010年10月16日土曜日

平成22年10月朝参りお知らせ


星ヶ丘中学サッカー部座禅会
人生、楽しきは相知の心に在り  (王安石  「明妃曲」)
 
 「相知の心」とは心を通い合わせること。夫婦であれ親子であれ師弟朋友であれそのような人間関係を持つことのできた人はしあわせです。
 王安石は11世紀中国宋代の政治家。詩人、文章家としても名高い人です。彼が提唱し推進した新法と呼ばれる政治改革は、窮乏した政府財政を立て直し、軍隊を精鋭化し、人民の生活を向上させるためのものでした。彼は、人民の窮乏を救うことが国家の繁栄をもたらすと考えました。農民を収奪する大地主や経済を牛耳る大商人の特権を削ぐ政策を実行しました。国を動かす高級官僚の多くは富裕な地主層の出身であり、また商人とも結びついていましたから激しい反対にあいました。しかし、彼は断固として改革を実行しました。そしてその改革は相当な成果を上げたのです。
 彼の改革に反対し、左遷された人の中には、司馬光や蘇東坡といった中国の歴史の中でも第一級の文化人がたくさんいました。そのため、歴史上画期的な改革を成し遂げたにもかかわらず、後世の中国人の彼に対する評価はおおむね否定的です。文章、詩、政治実績は素晴らしいが人間性が良くないと評した人もいました。
 冒頭にあげた「明妃曲」も実は非難された詩です。明妃とは漢の時代匈奴の王と政略結婚をさせられた絶世の美女、王昭君のことです。故郷を思いながら野蛮の地で一生を終えた悲劇のヒロインとされました。
 実際の王昭君は、匈奴の王に愛され幸せだったようでそのことは王安石も知ることだったのでしょう。明妃曲では、冒頭に掲げた一節の前に、「漢の王室の仕打ちは冷たく、匈奴王の愛情は深かった」という言葉があります。これが中華思想に凝り固まった人から愛国心が足りないと非難されたのです。
 王安石は、熱心な仏教徒でその平等思想をよく理解していました。そのため国家や民族、階級や貧富、男女の別なく人間を平等に見ることができた人でした。妻や娘たちとやりとりした詩が残されていますが、ほのぼのとした暖かみがあり、人間性の素晴らしさが感じられます。
 平成22年10月15日
                                    祥雲寺住職 安藤明之
十八日の観音様の朝詣りは
午前6時から行います。

高野山参拝旅行(四国遍路お礼参り)10月3日~5日、3日目

最終の3日目は朝から快晴、秋らしい過ごし易い天気になりました。
ホテルを出て最初に向かったのは円月島。
円月島の周囲で、海底のサンゴや熱帯魚を見られる船に乗船しました。


船着き場で乗船時間待ち。
若干古びた感じがいかにも昭和の時代の雰囲気を残してるような・・。


船も若干古びた感じでしたが、
近畿の海辺でも珊瑚や熱帯魚が生息してるのが観賞できたのには素直に驚きました。
人によっては蛸なんかも見れたそうです。
やはり海無し県人には海関連のものは大分ツボに来るようで、大いに好評でした。


続いて道中の真珠資料館に立ち寄り、千畳敷という景勝地にやってきました。


海に大きく突き出た屏風のような断崖絶壁の奇景で、
遠く四国まで見えるような好天や強い海風と相まって気持ちの良い観覧が出来ました。


上の写真は丁度上空を飛んでいた鳥を見上げています。
風に逆らうように飛びながら一定のポジションをキープして、
水面に飛び込んで魚を捕っていました。


旅の最後は安珍清姫伝説で有名な道成寺にお参りしました。


本堂の横に大きな講堂があり、
そこで住職さんから安珍清姫伝説の絵巻物を見ながら寺の縁起についてのお話が聞けました。
お話の中だけでしか知らなかった道成寺物語を
ここであった事、として語られるとまた違う印象を受けます。

講堂の中には歌舞伎や能の道具や資料、
平成天皇が皇太子時代に行幸された時の写真等が飾られてました。


帰りの道中で随所にみられたあぜ道の彼岸花。
あのあたりは彼岸花の生育に適しているのか、道中多くの畑のあぜ道が
この写真と同じくらい彼岸花に埋め尽くされていました。
宇都宮に帰着したのは10時を過ぎてしまいましたが、良い参拝、楽しい観光が出来た旅行だったと思います。。
今回は四国遍路で気心の知れた仲間内で、ということもあって
道中にぎわいが途絶えることのない愉快な旅でした。
また今回のように楽しいお参りが出来るよう企画してみたいと思います。



2010年10月14日木曜日

高野山参拝旅行(四国遍路お礼参り)10月3日~5日、2日目

2日目は明け方大分強く降っていたようですが、日が昇る時間にはやんでくれたようです。
大円院で朝のお勤めを行い、午前中は高野山の山内を廻りました。


高野山に金剛峯寺が建てられる前から祀られていた丹生明神の御堂。


境内に散在するあちこちのお堂をお参りして回る修行僧達。


お堂が密集している檀上伽藍から金剛峯寺まで歩いています。
雨も上がり、歩きまわるのにも丁度良くなってきました。

金剛峯寺本堂で撮影。
中央に移っているのは高野山マスコットキャラクター「こうやくん」。
高野山の至る所で見かけましたが、建物の古さ重厚さからすると大分ギャップが感じられました。


午後は高野山を出て熊野本宮にお参りしました。
日本サッカーチームのシンボル「八咫烏」を祀っている所だけあって日本勝利祈願の絵馬や奉納されたサッカーボールが随所に見られました。
熊野本宮に一部残った熊野古道で撮影。
参道の横に昔の道が一部保存されていました。
標高のせいか、少し時期の外れた彼岸花が綺麗に咲いています。


本宮を出た後数十分だけですが熊野古道を歩いてみました。
熊野本宮の西側、古道の道中にお祀りされた「牛馬童子」に向かう道筋とのことです。
この頃になると天気は快晴、山歩きには最高の天気となり、皆のびのび歩けました。
途中に通っていた山道で沢ガニ発見。
水源が近い山道だと結構頻繁に見かけました。


夕方になり、今日の宿泊場所の白浜温泉に到着しました。
砂浜が綺麗だったので散歩してたら、参加されたご夫婦がいいアングルで歩いていたので一枚撮影。
ちょっと映画のワンシーンみたいに撮れました。

ホテルの方に戻ってみると男性陣は寝るか風呂、
女性陣は浜辺を散歩、と綺麗に分かれていました。
こういう時は何時も女性の方が行動力があるようです。