2018年5月27日日曜日

30年5月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内

五月晴れの境内



正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。
                                        五観の偈

 先月に二つの仏教研修会に参加しましたが、そのどちらでも強調されていたのが「仏教は禁欲ではなく制欲、欲を制御していく」という点でした。

 欲は人を惑わすものですが、人を生かしているのもまた欲です。
故に欲を程々に抑え、過度の欲に惑わされない習慣を身に着けていくのが仏教の修行となります。
上記の「五観の偈」は食事の際の心得を5か条であらわしたもので、その内の4番目になります。
生き物は皆、食べなければ弱り、死んでしまいます。
それを病とみなし、死を「形が枯れる」形枯と形容して、食事を病に対する薬と心得ていただくように、と書いています。
それは、食欲こそが他のあらゆる欲求の起点となる欲であるからこそです。
故にこそ、過度の貪りに陥ることが無いよう、薬と心得て用法容量を考えることの大切さを説いています。

 私が20代のころにこの言葉を聞いても、さほどの感銘を受けることはありませんでした。
しかし、30も半ばを過ぎた今になってみると、以前よりも重くこの言葉が響くようになりました。
それは、若さに由来する驕りが抜けてきて、薬の大切さが身に沁みる年代になったことも大きく関係しているのでしょう。
ですが何より一番の要因は、形枯つまり枯れていくことを意識するようになったからです。
人は皆生まれ育ち、枯れて死んでいく。それは避けられないものなのだから、ならばこの形枯、老いに真摯に向き合わなくてはならない。
そう思い、良薬を事としなくてはと考えてみると、過食の欲求はいささか遠くに感じるようになりました。

 今の時点でこのような感想なわけですから、40代になってみるとまた違う感想になるのかもしれません。
願わくはこの5か条の5にあるように、仏道を成ずる為に食を戴く、という心境に近づけるよう、今日も精進を心掛けたいです。

                                    祥雲寺副住職 安藤淳之

一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?



日時:5月28日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可) 
               6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
               7時20分~8時    (二回目の坐禅)

場所:祥雲寺本堂一階

用意:身一つで大丈夫です。
    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。


注意:初めての方は最初に指導を行います。
    その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。



2018年5月17日木曜日

平成30年5月 観音朝詣りのお知らせ

茶道教室のお茶会


こちらは椅子席でのお点前


 


 対馬に行きました。
朝鮮半島から直線で50キロほど、邪馬台国の時代から日本の入り口に当たる島です。

 由緒ある神社が多く、平安時代初めの延喜式には29座もの社の名が挙げられていて「神々の島」と云われます。

 お寺もたくさんあります。
室町時代以降に開かれた曹洞宗寺院だけで51カ寺もあります。
対馬や隣の壱岐からは、私の尊敬する高僧が何人も出ているので、それらの方々が息をした空気に触れたいという思いもありました。

 南北厄80キロにわたる島は、全体に山が連なり、平地はほとんどありません。
入り江が入り組んだ複雑な海岸線と山の緑が相まって、澄み切った美しい景色を造っています。

 行ってみて、改めて思い起こされたことがあります。
それはこの島が防人の島であったことです。

 飛鳥、奈良時代に国境警備のために東国から防人が徴発されました。
役務は三年。
集合地の難波津より東の行き帰りの旅は自費でしなければならなかったため、行き倒れになる人も多かったと伝えられます。
九州から洋上130キロ余り、はるばる赴いたこの島での故郷への思いはいかばかりであったでしょう。

 万葉集には防人の歌が100首ほど載せられています。

 旅行(たびゆき)に 行くと知らずて 母父に
   言(こと)申さずて 今ぞ悔しけ     (下野の防人の歌)

 親に告げることもできずに旅立ち、任地に来て、明日をも知れぬ今日の身を思い、悔やんでいる兵士の歌です。

 唐衣(からころも) 裾(すそ)に取りつき 泣く子らを
  置きてぞ来のや 母なしにして  (信濃の防人の歌)

妻を亡くし、育てていた幼き子供たちを置いて兵役に就かざるを得なかった父親の歌。
悲痛この上ありません。
歴史の島は、いにしえ人の息づかいを今に伝えてくれます。

平成30年5月15日
                                   祥雲寺住職 安藤明之


十八日の朝詣りは午前6時から行います。