2010年4月19日月曜日

平成22年長岡百穴観音祭り

宇都宮北側の環状線沿いには長岡百穴と呼ばれる古跡があります。
古代人の墓穴として掘られ、後世になって弘法大師一夜の作とされる石仏が祀られ
仏様をお祀りする場所として地元長岡地区の人達によって護持されてきました。
毎年4月の18日に観音様をお参りする例祭が行われています。

今年は彼岸が明けても寒さが残った影響か、
例年なら葉桜になっていた桜がまだ花を残していました。

17日夜になり、観音堂にて祭りの支度を行います。

昭和60年4月18日、祥雲寺第27世貫山和尚、先代住職の手によって書かれた額です。

夜の6時になり例祭が始まりました。
小さい観音堂に住職と式衆、ご詠歌の人達が入り、外に役員さんと地元の方々が列席します。

お経の途中で中に入ってもらい、観音様に香をお供えしてもらいます。

長岡町ご詠歌講の皆さんと一緒にお唱えをします。
少人数ながら外までよく響くよいお唱えになりました。


観音祭りが終わってお斎き会になります。
毎年のことですが、長岡町の結束の強さに感動します。

2010年4月14日水曜日

平成22年4月朝参りお知らせ


4月8日釈尊迎誕会(花祭り)の朝

 4月10日の下野新聞のコラム欄に、栃木県令三島通庸と桜のことが載っていました。
 薩摩出身、内務官僚の先駆けである三島通庸は、自由民権運動の弾圧者として歴史上の悪役というべき存在ですが、那須野ヶ原の開拓をはじめとして栃木県の産業振興、近代化に大きな足跡を残しました。
 コラム執筆者の論説委員の方から教えていただいたのですが、彼は各地で桜を植えたり、花見の宴を催したりして、地元住民との親交に努めたそうです。
 おそらく明治18年のこと、祥雲寺のしだれ桜に桟敷を張り巡らして、宇都宮中の芸者衆を揚げて大宴会を行いました。昭和41年に96歳で亡くなった中村ツネさんから聞いたことです。単なる宴会ではなく、秀吉の醍醐の花見に倣ったようだ県内の名士を集めてのイベントだったのでしょう。素封家の総領娘であったツネさんも接待役として駆り出されたのだそうです。
 何十人もの人達が上がれる桟敷を張ったというのは、今のしだれ桜からは想像がつかないかも知れませんが、昔の桜を知っている人達には納得がいくはずです。昭和23年の火事によって北側の枝が焼け、以後次第に衰弱していったのですが、昭和30年代まではなお偉容を誇っていました。山門の方から階段を上がってくると、おおいかぶさってくる巨大な樹影に圧倒されたのもです。
 枯れかかり、昭和54年から現在の形での再生治療が行われていますが、道なお遠しという状況です。全体のボリュームは、全盛期の十分の一ぐらいでしょう。それでも今年も花を付けてくれました。今年13日は、天気もおだやかで、花びらがはらはらとしきりに散っています。古今和歌集、紀友則の名歌を思い出します。
 ひさかたの 光のどけき 春のひに
               静こころなく 花のちるらむ
 
 平成22年4月15日                        祥雲寺住職 安藤明之

十八日の観音様の朝詣りは
午前6時から行います。

2010年4月10日土曜日

4月10日祥雲寺花祭り大写経会

4月8日はお釈迦様が誕生された日です。
紀元前にインドのルンビニー園という花園でお生まれになり、
天がその誕生を祝って甘露の雨が降り注いだという伝説から、
お寺では花で飾られたお堂を作り、甘茶を小さい仏様にそそいで誕生日をお祝いします。


祥雲寺では毎年4月8日に一番近い土曜日に大写経会を行い、花祭りのお祝いをしてきました。


毎年この時期になると有志の方にお手伝いいただいて、
宇都宮仏教会主催の花祭りと、祥雲寺花祭りの為の花御堂を作成します。


今年は旧切り絵教室とフラワーアレンジメント教室の方に集まっていただき、
花御堂作りを行いました。


当日の朝、写経会が始まるまではしだれ桜の前に花御堂を置き、
桜を見にこられた方たちにもお祝いをしていただいています。


今日は快晴一歩手前、といったぐらいの天気でしたが
多くの人が花見に来ていました。
毎年絵描きの方も何人か来ているようです。


今日来ていた方の絵を覗かせてもらいました。
この後桜の色を塗っていくようです。

昼を回って花御堂を本堂に移した所で、参加者が続々と来られました。
最初に小さい仏様にお参りしていただき、墨をすりながら開始を待ちます。


写経開始の前に法話をお聞きします。
今年は宇都宮駅前の林松寺副住職、山岸健道師にお説教頂きました。


お話が終わって般若心経を読み、そのまま数分ほど坐禅を行います。


座禅が終わって写経を始めます。
写経会などによく来られる方などは30分ほどで書き上げてしまいますが、
筆を10年ぶりに持った、という方は大分手こずっていたようです。
今年もたくさんの方にご参加いただき、恙無く終えることが出来ました。


今年は開花してからも寒い日が続いたせいなのか
しだれ桜も例年より長く咲いていました。


明日は八幡山の桜祭り最終日ですので
多くの人が来るようでしょう。




2010年4月3日土曜日

ハイチ地震チャリティ唄語りコンサート(4月3日)

先月末から続いていた冷え込みも一段落したおかげか
3分咲きくらいだったしだれ桜が一気に開花して見ごろを迎えていました。




今で6、7分咲き位でしょうか。来週いっぱい楽しませてくれそうです。


今日は月初めの土曜日ですので石彫会「羅漢の会」の皆さんと
恒例の羅漢拝(お釈迦様の高弟である16人の羅漢さんへのお参り)を行いました。

羅漢拝が終わって、続いて本堂で美寿々すみ子先生のチャリティ唄語りの会が行われました。
以前こちらのブログでも紹介しましたが
美寿々すみ子先生は県内各地で民謡、昔語りの同好会活動を行っているシルバー大学の講師の先生です。
各地にある同好会「みすず会」によるハイチ地震への支援活動として
今日祥雲寺を会場にチャリティの民謡会を開催しました。


今日は孝子桜のお話から入りました。
当初想定していたより多くの方に来場いただき、先生も快調に演じることが出来たようです。
先生の語りはいつ聞いても瑞々しさと若々しさが感じられて、楽しい時間を過ごさせてくれます。
最後にはアンコールに答えてもう一話行われていました。

終わりに今日良く取れた写真を三枚載せておきます。