2016年7月24日日曜日

28年7月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内



四国お遍路札所、五百羅漢堂




「心を以てはかることなかれ、ことばを以ていふことなかれ。ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる。」
                                            『正法眼蔵』 生死の巻




 先日『感じる、調べる、もっと近づく、仏像の本』という本を読みました。
 一頃、歴女仏女という言われ方で歴史や仏教に興味関心を持つ女性を表現していましたが、この本はその仏女、仏像ガールの方が書かれた本との事です。


 読んでみると大変よく勉強されていて、むしろ自分の不勉強が恥ずかしくなるほどに丁寧でありながら、初めての方でも楽しんで読める敷居の低い素晴らしい本でした。
 その書き出しの所で
「仏像をあまり学術的に見て欲しくない。~思いを込めて仏像と向かい合い、ただ手を合わせる、それだけだったはずである。」
という部分がありました。
 仏像の素晴らしさを知るためには、言葉も知識も余計なもので、「感じること」が大切との事です。


 仏像、仏の姿、仏の形。
 私がそこに興味関心を持てるようになったのは、やはり修行の時からでした。
 福井にある曹洞宗大本山永平寺では、毎年12月になると1週間朝から晩まで坐禅し続ける「摂心」という大修行を行います。
朝3時に起きて夜9時に寝るまでの間、ひたすら坐禅をする僧堂に籠って坐禅をするのですから、1年目の出家してまだ間もない    私は足腰の痛さにめげそうになりながらなんとか坐禅に臨んでいました。
 最後の7日目の夜、坐禅の合間に坐りながらお茶をいただく行茶の時間になり、私は給仕役として初めて坐禅中の僧堂を落ち着いて見回すことができました。


 そこには仏様たちが坐っていました。
 これまで共に寝起きして修行していた先輩同輩の僧侶たちが、まさしく「ほとけ様」と言うべき、思わず手を合わせ拝みたくなる尊いお姿で、ずらり並んで坐られていました。


 身も心も、つまり「自分」を放ち忘れて仏の悟りの姿形、坐禅の姿にすべてを預けてしまうとき、力を入れることも心を費やすこともなく、生き死にの迷いを離れて仏となる。
 坐禅という行の素晴らしさ、仏様の姿かたちの尊さ、というのを私はこの時初めて知ることができたように思います。


                                            祥雲寺副住職 安藤淳之








一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

日時:7月25日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
     6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
     7時20分~8時    (二回目の坐禅)

場所:祥雲寺本堂一階

用意:身一つで大丈夫です。
    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。


また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。


7月7日 べんてん祭り

7月7日は境内のべんてん様の例祭を行っています。

毎年この日は天候不順が多かったのですが、今年は珍しく快晴の中で行えました。


天然記念物しだれ桜のすぐ裏手にあるべんてん堂

年に一度の例祭日、
べんてん様もお天気につられていつもより晴れやかに見えます。

御詠歌講のお唱えから始まります。
式衆入場。
 
諸災消除、諸縁吉祥を願って転読
 
法要が終わったらお昼をいただいてすりばち灸
夏を乗り切れるよう、べんてん様の火を頭にいただきます。






2016年7月13日水曜日

平成28年7月 朝詣りのお知らせ

7月7日べんてんまつり、転読しての参列者諸災消除諸縁吉祥の祈願

 バングラディシュで痛ましい事件が起きました。
テロの犠牲になったのは、日本人の中の宝石というべき人たちです。
 
 この世界の一隅に火を点(とも)し、人びとの幸せのために分け隔てすることなく仕事をしていた人達です。

 ご家族の悲しみはいかばかりでしょう。
縁もゆかりもない我々でさえ悲しみに胸が熱くなります。

 犯人たちに憎しみを感じます。
しかし、あの若者たちの心情は、おそらく、身を捨てて大義を成し遂げようとしたのです。
見方を変えれば殉教者であり愛国者です。

 なぜこんなことが起こってくるのか。

 背景には、欧米の先進国が、石油の利権をわが物にしようとして、中東のイスラム教の世界に介入したことがあります。
湾岸戦争、イラク戦争が起こり、現在も止め処ない内戦が続いています。

 欧米だけのせいにできない色々な要因はありますが、過激派はこの状態をもたらした責任は欧米にあるとしています。
そして、欧米と戦うための根拠をイスラムの教えの中に求めています。

 先日、イスラム教を研究する先生の講義を受けました。
イスラム国やアルカイダのような暴力を是とする考えは、本来のイスラム教にはありえないそうです。

 しかし、現実にイスラム国やアルカイダはイスラムの大義のためと称しテロをくり返し、止むことがありません。
それらの組織が壊滅しても、また新たな組織が生まれ同じことがくり返されます。

 私は、全知全能の神を立てる一神教の中に、対立を生み出す根本的な問題点があるのではないかと思っています。
自分たちの信じる神にのみ正義があり、信じないもの、別の神を信じる者は正しくないのです。

 ブッシュ大統領はアフガニスタン派兵決定にあたり
「これは十字軍だ。邪悪な者との戦争だ。」
と演説しました。
これと、テロリストたちが
「神は偉大なり。聖戦(ジハード)だ」
と叫ぶこととあまりにも似ています。

異なった文化、歴史を持った人々の心が通じ合うには、
「絶対に」
という言葉はいりません。

                    平成28年7月15日 祥雲寺住職 安藤明之

十八日の朝詣りは午前6時から行います。