2016年5月22日日曜日

28年5月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内


ただいま準備中の折り紙教室
 
 
初めての作品。
「仏道をならうというは自己をならうなり。自己をならうというは自己を忘るるなり。」
                             『正法眼蔵現成公案』


 私は昔、福井県武生にある御誕生寺という修行道場で2年ほど修行させていただきました。
御誕生寺というのは曹洞宗大本山總持寺の住職を務めた板橋興宗禅師様が10年ほど前に建てられたお寺です。
禅師様は總持寺の住職を退任された後、曹洞宗の両祖である瑩山禅師の誕生の地に寺を建てるべきと言われ、土地の寄進を受け寄付者を募り托鉢をして、立派な修行道場を建立されました。
その建立の最中、寺の軒先に猫が捨てられていた時があり、「可愛そうだから軒下においてやれや」と境内においてあげたところ、方々から猫をもらってくれないかと持ってこられて、あっという間に修行僧より多くの猫が境内にいる寺になってしまいました。
ちょうど私が修行の為上山したころ、NHKの特集で全国放送され、今では猫のいる「猫寺」として大変有名なスポットになっています。

そんな猫寺ですが、禅師様の教えを聞くために多くの人が参拝し、また参禅される修行の道場でもあります。
様々なお話をされていましたが、その中でもよくお話しされていたのが「禅の奥義を教えよう」という流れのお話です。

「人間は言葉を覚えた。この言葉のおかげで人間は進歩してきたが、同時に言葉のせいで縛られ、悩み、疲れる。
坐禅の時間というのは言葉を用いない。グチグチ考えることなく、「今」を生きている。
言葉というのは文明をもたらす力となり、また迷いのもととなる諸刃の剣と心得て、思考をやめるのではなく、必要以上に考えて悩まないこと。
そうして今この時を生きている実感を持って、一歩一歩「いのち」を感じて生きることが大切だ」

少し私なりの解釈がありますが、このようにお話しされていました。
作務を一心に行っているとき、禅師様の暖かい笑顔と共に、この言葉をよく思い出します。

                          祥雲寺副住職 安藤淳之



一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

日時:5月23日(月)朝6時半~7時半(途中参加、途中退出可)
     6時30分~7時10分(今回は所要の為一回目の坐禅のみ)
     

場所:祥雲寺本堂一階

用意:身一つで大丈夫です。
    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。




また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。