2009年10月28日水曜日

祥雲寺第2回お遍路参拝旅行(10月18日~21日、2日目)

2日目も快晴、今日は高知市郊外から足摺岬を経由して宇和島市まで北上する
今回最長の行程になります。


三陽荘から撮った朝焼けの岬。
この宿は36番札所のすぐ前に建てられていて、
何でも近年お大師様の掲示を受けてお遍路さんのお手伝いに取り組める場所として経営されるにいたったそうです。
施設も食事もよく気を使っていただき、皆ゆっくり休むことができました。


宿を出て朝日がまぶしい中、最初の36番札所青龍寺に到着しました。
ここは何でも相撲の朝青竜関の名前の由来になったお寺だそうです。
過去朝青竜関も上り下りした170段の石段をみんな元気に昇っていきます。


お参り了って駐車場前にあるお接待所で一休み。
ここは珊瑚細工工房に併設されていますが
四国では至る所にお遍路さんを接待してくれる休憩所があります。
こちらの言葉では善根を示す、といった表現になりますが、

土地の人たちが無償で旅のお遍路さんをもてなしてくれる習慣が根付いており、
一人で行動する歩き遍路等には特にありがたいものになります。

お遍路の旅路を「同行二人」という言葉で表現します。
弘法大師ゆかりの霊跡を巡る難行を、大師の名とともに行くことからくる言葉ですが
それは同時に、
個人の力、一人のみではこの難行をなしえないことから
「お蔭様で」という言葉を実感する修行なのだという意味を持っていると思いました。


お参りが済んで次は足摺岬方面に向かいます。
同中渡った四万十川の川沿いにある食堂でお昼を頂きました。
土産物屋も併設されていたので見て回っていたらこんなキーホルダーを見つけました。

昔懐かしロボットのパロディキーホルダーのようですが
見たときには店の中でしたが大笑いしてしまいました。

昼過ぎに足摺岬の札所、38番金剛福寺に到着。
ここは昔補陀落渡海という行が行われた場所としても有名で、
その為なのか本堂前に大きな池が整備され、一風変わった境内になっています。
補陀落渡海というのは南の海に向かって浄土を求め、帰らない旅に出る行のことです。
華厳経というお経にある南の浄土を補陀落と言い、チベットのポタラ宮の名もこれに由来します。
昔の人は南の海の向こうに浄土を夢見て、最も近くなる四国最南端の足摺岬をその信仰の地としたのかもしれません。私はこの話を聞くたびに今昔物語の源太夫の話を思い出します。

お参り了って足摺岬の展望台に来ました。
太平洋を遥かに見渡して潮風に吹かれていると、今いる場所が四国なのだとより強く実感します。

空は秋らしくあまり奥行きがない青色です。
上空では風の流れが強いせいか、速い速度で雲が流れて行きました。
良い景色を堪能できましたが、ここで時間を取りすぎたため宇和島到着が7時近くになってしまいました。

2009年10月26日月曜日

祥雲寺第2回お遍路参拝旅行(10月18日~21日、初日)

4月に行われた第1回お遍路参拝に続いて
10月18日~21日の旅程で、第2回四国88札所巡礼参拝旅行にいって参りました。
今回は高知市内にある31番札所から松山北の53番札所までお参りする行程になります。


羽田空港から高知竜馬空港に1時間ほどで到着。
ここ数日で大分冷え込んですっかり秋めいてきましたが
四国は暑いくらいに暖かく、少し夏に返ってきた心持ちになりました。

空港で第一回にもお世話になった大川バスの運転手さんガイドさんと半年ぶりに再開。
その熟練の腕前にお世話になっていたことも手伝って、皆再会を懐かしんでいました。


32番札所の参道。
四国のお遍路というと昔は困難の代名詞ともなるような旅でしたが
近年は道路も整備され参道にも手すりが設置される等、大分お参りがしやすいようになっています。


本堂前で経文を全員でお唱えし、お参りします。
88札所巡礼は、各寺の本堂と弘法大師を祀る大師堂にお参りをしてお札を納め、納経所で御朱印を貰うのが通例となっています。


お参りがすむと少しの時間ですが境内を散策し、四国の空気を楽しみます。


32番禅師峰寺の展望台からは桂浜方面がよく望めます。
大分冷え込んできた宇都宮から暖かい南の海に出てきたこともあって
皆眩しく見入っていました。


時間に余裕が出来たので桂浜に立ち寄ることが出来ました。
思いのほか観光地として開発されていて土産物屋街が大分賑わっていましたが、
浜辺に下りると空の青と浜辺の松とのコントラストが往時の桂浜の風情を教えてくれて
味のある一時を楽しめます。
そもそもが海無し県人であるだけに、海というだけでも皆心が沸き立つ様で、老若の別無く皆大いにはしゃいでいました。

初日は31番から35番をお参りし、高知市外の36番札所前の三陽荘に宿泊しました。

2009年10月14日水曜日

平成21年10月朝参りお知らせ



ーーー確かに、夢の中で母たちは
「復讐しにきてほしい」とはいいませんでした。それは
「はやくここから救い出して」という切実な叫びでした。
だから私は、行かないではいられなかったのです。
それは母たちと私の破ることのできない約束でした。
ーーー許すことは簡単なことではありません。
でも、憎むのではない方法を私は探したかったのです。
      久郷ポンナレット『虹色の空(2009年出版)』より

 1975年にカンボジアの首都プノンペンを制圧したポルポト派は、政権にあった4年間に150万人以上を殺したと言われます。彼らは知識階級を憎み、官吏、教師、僧侶等を殺害しました。都市住民を農村部に移動させて権利を剥奪し強制労働による農業生産に従事させました。
 久郷ポンナレットさんは1964年、プノンペンで生まれました。父親は国立図書館長、母親は教師という知識階級で、それ故にポルポト政権下で死線をさまよった人です。父は早くに殺され、母親も農村部で殺されました。奇跡的に助かった彼女は、姉を頼って1980年に来日しました。日本人と結婚し、2001年にカンボジアでの体験を記した「色のない空」という本を出版しました。過酷な集団労働、栄養失調で労働に耐えられなくなると姿を消す人達、その人達は農民たちによって殺されたのです。多くはポルポトの共産主義に洗脳された少年たちでした。
 優しいご主人との間に子供も授かり、幸せを得た彼女でしたが、ある晩、恐ろしい夢を見ます。それはカンボジアで殺された家族が救いを求めている夢でした。彼女は、自分が死に直面した地を再び訪れて、そこで命を落とした7000人のみ霊への供養を行いました。供養には、その土地の人を招待し、布施をします。かつて彼女たちを苦しめ、沢山の人を殺した人達です。それでもポンナレットさんは喜捨をし、ともに冥福を祈りました。
 冒頭の言葉は、この時の、ゆれ動く彼女の心を記したものです。仏教徒としての敬虔さに満ちていて、胸を打たれます。

        平成21年10月14日  祥雲寺住職 安藤明之

18日の観音様の朝参りは
午前6時から行います。

2009年10月3日土曜日

平成21年本山参拝(後)

本山参拝2日目の朝は少し雲がかかっていましたが晴れてくれました。
朝6時に玄関に集合し、建物の外を回って本堂で朝のお勤めに参加します。


山の中腹にあるだけに清澄な朝の空気が新鮮でした。


本堂に入って朝のお勤めの始まりを待ちます。
殿行(法要の裏方役)の進退が大雄山独特のものだったので興味深く随喜できました。


奥の院階段前で撮影。
大雄山を守護する道了尊は御開山の了庵禅師が亡くなられて後に
「以後山中にあって大雄山を守り多くの人を利済する」と誓いを立てて山中に身を隠されたそうです。

奥の院までの階段。
道了尊、すなわち天狗さまをお祀りする場所だからか
お寺の山門で寺を守護する仁王様のように
道の両側に天狗さまの像がいかめしく立っています。
下から数えて300段超の階段を越えた山頂近くに奥の院がひっそりとしたたたずまいを見せていました。


大雄山を出て次は目黒のお不動さんに向かいました。
毎月28日は縁日の日ということで午前中から多くの人がお参りしており、外国の観光客も多いそうです。
普通の祭りでよく見るやきそばやかき氷等の屋台だけでなく
少し珍しい食材やお惣菜を売るデパ地下で見るような商品のお店も多く、
なるほど生活に密着した場でもあるのだな、と感心しました。


お昼は東京タワー真下の豆腐料理屋うかいでお食事を頂きました。
ここは豆腐中心の懐石を楽しめる場所としても有名で
来たことのある人は皆「あそこは凄い」と口をそろえていたこともあり楽しみにしていましたが、期待以上に素晴らしい料理と時間を皆さんとそろって楽しめました。

最後はちょっと腹ごなしも兼ねて東京タワーに昇りました。
一頃には東京タワーの解体、なんて話もあったそうですが
今でも多くの家族連れや観光客で大賑わいを見せています。
旅行参加者の殆どは過去東京タワー創立時分に来たことがあるそうで
それぞれ色々な感慨を聞かせてくれました。
東京タワーを出て夕方6時前に宇都宮祥雲寺に帰着。
途中若干のハプニングもありましたがほぼ予定通りに移動でき、皆さんにとって良い参拝が出来、楽しい旅行になったと思います。

平成21年本山参拝(前)

9月27日~28日の日程で平成21年祥雲寺本山参拝旅行に行ってきました。
祥雲寺では毎年本山参拝を行っています。
曹洞宗では大本山が福井の永平寺と横浜の總持寺の二ヶ寺ある為
毎年交互にお参りをしており、今年は總持寺の年にあたります。
今回の旅程は
【初日】泉岳寺→大本山總持寺→大雄山最乗寺(一泊)
【二日目】大雄山最乗寺→目黒不動尊縁日→豆腐料理屋うかい→東京タワー→帰着

となりました。


朝7時に祥雲寺に集合し、バスで東京品川近くの泉岳寺まで移動しました。
泉岳寺は忠臣蔵で有名な赤穂浪士のお墓のあるお寺として有名な所です。


四十七士のお墓のある高台です。
やはりひっきりなしに人の訪れる場所だからかよく整備されていて
線香火つけ屋さんが常駐してるのには驚きました。


ちょっと見づらいですが線香を置く石の台が、
途切れなく上げられる線香の熱で劣化して斜めに崩れています。
義士達の行動が、当時から今に至るまで時代が変わってもなお支持されている証なのだ、と思いました。


横浜鶴見の大本山總持寺に到着しました。
受け付けが庫裏でもある為、まず最初に奥に祀られている大黒さんにお参りします。
總持寺は元々能登半島にありましたが、明治に引っ越しをして今の場所に移築されました。
平成23年にはご移東(引っ越)100周年記念の法要が行われます。


お昼を頂いてから先祖供養の法要を行っていただきました。
總持寺の大祖堂は千畳敷の本堂としても有名で、修行僧の低い読経の声がよく響き渡ります。
終わってお寺の拝観をしながら一周してきました。

大本山を出て、蛯名インターを経由して今日宿泊の大雄山最乗寺に到着しました。
最乗寺は曹洞宗の大本山永平寺總持寺に次ぐ規模の大きなお寺としても有名で、
道了尊と呼ばれる天狗さまを寺の守護としてお祀りしています。
バスから下車して、足の達者な人は10分ほど参道を歩いて宿坊に上がります。
新緑の季節か紅葉の時分に来たらさぞ見事なものだろうと思わせる、古さを感じる立派な参道に皆も感銘を受けていました。


大雄山大食堂での夕食。
近々御開山の600回大遠忌になるということで宿坊周りが新しく建て直されていたそうで
以前に来たことのある人は、様変わりに大分驚いていました。


夜の道了尊大祭、御供式が始まります。
本来は奥の院へと続く階段前で行われるそうですが、一時間ほど前から雨が降ってしまい
本堂前で行われることになってしまいました。
白装束に身を包んだ修行僧が、奥の院までの300段以上もある階段を駆け上がる姿を見られたそうですが、今回は出発と帰着の所だけ見ることができました。