2009年12月14日月曜日

平成21年12月朝参りお知らせ


 先月、チベットの仏像から受けた感銘について記しました。仏像が初めて造られたのは、紀元2世紀頃と言われます。以来、仏像は仏教徒の信仰の中心となりました。
 実は「ほとけ」という言葉はもともと仏像を意味するのだそうです。インドの言葉で、目覚めた人、悟った人を意味する「ブッダ」を、中国では「浮屠」と音写しました。その文字を古代日本人は「ふぉぇとぇ」と読み、それに「目に見える形」を意味する「け」という音を付けて、ブッダの姿、すなわち仏像を意味する言葉ができました。これは先年亡くなった国語学者の大野普先生の説です。
 大野先生はさらに、「カミ」が、「カミナリ」に表わされるような自然の絶大な力をもとにした、只ただ人間を畏怖させる存在だったのに対し、「ホトケ」は人間としてのさまざまな苦しみを救済してくれる存在として、古代日本人の前に現れたと述べています。
 京都、太秦の広隆寺の弥勒菩薩像は国宝指定第一号の仏像です。高校の修学旅行で初めて御像を目の当たりにした時のことを思い出します。静かにほほえんだお顔を拝み、ほほにそっと添えられた指先を見ていると魂がすくい上げられていく思いがしました。
 この弥勒菩薩は7世紀前半に朝鮮半島から招来されたか、あるいは日本で造立されたとされます。いずれにしても百済から日本に公伝されて間もない頃です。古代の人も、私たちと同じ思いで仏像を拝んだに違いありません。
 時を貫いているものは、人の世の苦しみ悲しみを憐れみたまいやさしく包んでくださる慈悲のお姿です。
                         平成21年12月14日  祥雲寺住職 安藤明之


 十八日の観音様の朝参りは
午前六時半から行います

平成21年納経会(成道会)

12月8日はお釈迦さまがお悟りを開かれた日です。
三仏忌といって、仏教では4月8日の花まつり(生誕日)、2月15日の涅槃会(命日)と並び、
12月8日を成道の日、修行が成った聖日としてきました。

祥雲寺では8日に前後して日を定め、写経会参加者の写経を納めて成道の御祝いの法要をしています。

最初に写経会の皆さんで本尊のお釈迦さまにお参りし、香を薫じます。
続いてお釈迦様のお祀りされている台座(須弥壇)に、お経を書いた石を投じます。
祥雲寺の須弥壇の下には地面まで続く柱があり、その中は空洞になっています。
この空洞に毎年写経会参加者の書いた経石を投げ入れ、仏様の台座の礎としています。

祥雲寺では毎年5月~11月で月一回の写経会を行っています。
写経の始まりを4月花まつりの大写経会とし、終わりを12月成道会としており、
会の参加者には毎年干支の文鎮を用意してきました。今年は虎の文鎮になります。


12年で丁度一めぐり、12年続けられた方だけ完成できるささやかなコレクションとなります。


2009年12月13日日曜日

平成21年無縁供養、水子地蔵尊大祭

毎年12月1日は祥雲寺の無縁供養、水子地蔵尊大祭の日です。
前日の天気が若干崩れましたが、当日は綺麗に晴れてくれました。


昨年は今年よりも幾分紅葉の見ごろが続いていましたが
今年は散るのが少し早いようです。


祥雲寺石彫会による500羅漢(お釈迦様の500人のお弟子様)像彫刻も
いよいよ300を超えました。
今年500羅漢をお祀りする羅漢渓を拡張しましたので
以前より間隔の余裕をもった安置が出来るようになりました。


新たにお祀りされる羅漢様の開眼法要を無縁供養の前に行いました。
石彫会の皆さんが祭壇に向かってお参りされています。


午前11時になり、無縁供養の法要を行いました。
最初に施餓鬼の法要を行い、施主となった参列者方の卒塔婆を読み込み、供養をします。




引き続いて水子供養になります。
賽の河原で水子となった子供に手を差し伸べる地蔵菩薩にお祈りをし、線香をお供えします。




午前の法要も終わり、婦人会お手製のお昼を頂いた後は無縁供養の特別講演になります。
今年は民話語りの美寿々すみ子先生にお願いしました。


先生の語る民話はとても生き生きとしていて、瑞々しい生活感と躍動感を感じさせるお話をしてくださいます。
1時間半の講演でしたが、あっという間に終わったと感じるほど愉快な時間を過ごさせていただきました。

2009年11月26日木曜日

12月1日無縁供養のお知らせ

紅葉もそろそろ終わりの季節になってきましたが
ここ数日天気が良いので、散策に来られる方を多く見かけます。

昨日今日は爽やかな秋晴れの日になりました。
特に今日は温かで、小春日和と言ってもいい位すごしやすい気温です。

昨日水曜は月に一回のフラワーアレンジメント教室の日です。
先生の指導のもと思い思いに花を生けています。

十数名の教室生を先生が見て回り、時に指導を行います。


こちらは今回の作品の一つ。
秋を意識して、表の銀杏の葉を散らしています。



毎年12月1日は祥雲寺無縁供養、水子地蔵尊供養を修行しています。
無縁供養とは、一見無縁であるけれど、実は目に見えない形で私たちに恵みを与えている
諸々の人々、ひいては天地万物に対しての報恩感謝の為の供養になります。

祥雲寺の無縁供養は天明年間に起源をもつ伝統行事です。
午前中に無縁供養、水子地蔵尊供養の法要を行い
午後には記念行事として演奏会や朗読会など、沢山の人に楽しんでもらう企画を用意しています。

今年はこの記念事業として
佐野の美寿々すみ子さんに民話の語りをお願いいたしました。


美寿々先生は栃木シルバー大学民話クラブの講師も行っており、
県内各地にて同好会を立ち上げ、民話の指導普及に尽力されています。
私も講座の発表を聞く機会がありましたが、大変ユニークな方で会場を沸き立たせていました。

午前午後ともに費用のかかるものではありませんので
多くの方にご参加いただければと思います。

2009年11月25日水曜日

祥陶会韓国旅行 -陶芸のルーツを訪ねてー

去る11月9日~11日に祥陶会で韓国、ソウル陶磁の町「利川」を訪ねてきました。
祥陶会というのは、祥雲寺で毎週二回行っている陶芸の会です。
今回、陶芸のルーツである高麗青磁、朝鮮白磁などを見学し、合わせてソウルの宗廟、昌徳宮を観光してきました。


昔の韓国の村の様子を再現している民族村。
韓国ドラマ「チャングム」のロケ地としても使われました。
陶芸村入り口。
陶土(陶磁器に適した土)と水に恵まれた一帯で、窯場が120件も集まっており、陶工達の作業工程も見学できる韓国有数の陶芸のメッカです。
利川窯元、登り窯。
栃木県益子にある登り窯と同じなんだな、と思いました。
歴史的経緯を考えると、ここが源流に当たるのだと思うと、感慨深いものがあります。

高麗青磁。
青磁の透き通った翡翠色にそこはかとない吸込まれるような奥深さを感じました。

ソウル市内夜景。
イルミネーションの煌びやかさには驚かされました。
ソウルも近代化され、六本木や銀座を歩いてるのとまったく変わりないです。

昌徳宮参道。
朝鮮王朝第2の王宮で、もっとも韓国的な宮廷と言われています。
紅葉の彩りがとても素晴らしく、良い時期に観光できました。


宗廟正殿前。
朝鮮王室の歴代の王と王妃が祀られている廟です。
祭祀の様子は「チャングム」の世界をを想わせる華やかなものに感じました。
陶芸仲間達とのわきあいあいとした楽しい旅でした。
沢山の陶磁器を見て、次はどんな形のものを作ろうかと考えながら岐路につきました。


2009年11月14日土曜日

平成21年11月朝参りお知らせ



 11月3日、東京上野の森美術館で開催されているチベット展を見てきました。チベット仏教の総本山ポタラ宮のものを中心に、仏像、マンダラ、タンカ(仏画の掛け軸)などが出品されていました。日本の国宝にも劣らない見事なものです。
 チベット仏教は、タントリズムといわれるインド思想の影響を受けています。タントリズムには煩悩に満ちた輪廻を脱する手段のひとつとして、性的快楽から生まれる忘我の状態を宗教的な無我の境地に転換しようとする修行法があります。仏教の後期密教はそれを精神的制御のみによる禅定法として採り入れるのですが、仏像や仏画、マンダラに女神と結合する如来の姿が見られます。そのため淫猥な宗教との非難も受けました。
 チベットの正当仏教では性的意味を一切否定し、お釈迦様がお説きになられたことの全てを成就した修行者のみがその禅定法の修行を許されました。そのため父母像(ぶもぞう)といわれるこれらの仏像の首から下には布が掛けてあり、ポタラ宮に行っても全体を拝むことはできません。
 私はこれまで美術館で仏像展があると可能な限り足を運んできました。矛盾しているのですが、本来礼拝の対象である仏像が人目にさらされていることに、わりきれなさを感じています。しかしまた一方では、仏像の持つ宗教性は、それを見る人の心に単なる美術を超えたものを感得させていく力を持っているので多くの人に見てもらいたいとも思っています。最近、仏像に心を惹かれる若者が多くなり一種のブームとなっているようです。仏像を通して仏教への関心を持った若い女性を称するに「仏女(ぶつじょ)」という言葉も生まれているそうです。これも仏像が人目に触れる機会があればこそです。
 今回見たチベットの仏教美術も、そうした宗教的な感動を呼び起こすものでした。性的なものであっても淫猥さなど微塵も感じられない、精神性の極地といってもよい、存在の根源、宇宙の根源についてのインスピレーションを与えてくれるような像や絵でした。
  平成21年11月14日
                                        祥雲寺住職 安藤明之

18日の観音様の朝詣りは
午前6時半から行います。

2009年11月8日日曜日

第26回仏教を知る会(11月4日)

お檀家の別井さんから寄贈していただいた菊が立派な花を咲かせてくれました。

  

毎年預からせていただいていますが、今年も大きな花が咲いて
お参りにきた方の目を楽しませてくれています。

毎年11月上旬の頃に春と合わせて年2回の、祥雲寺婦人会勉強会「仏教を知る会」を開催しています。


仏教に関してを勉強したいという人を対象に
午前中に住職によるお経の講義、午後に外部から講師を招いての講演会という構成で行っています。


最初に本堂2階で本尊様へのお参りを行います。


お参り了って10時半からお経の講義が始まります。
今回は『修証義』という曹洞宗の経典の第4章を中心に勉強しました。


午後は祥雲寺の天井絵を描いて頂いた
日本画家の杉山寒月先生の講演になります。
先生は仏教美術に造詣が深く、そのこともあって3年がかりで祥雲寺天井絵を手掛けて頂いており、今回はそれらを交えた天井絵作成のエピソードを語って頂きました。


1階での講演が了って、実際に見ながらの説明会になりました。
来られた方の殆どが既に天井絵を見ていたのですが、
やはり作成のエピソードや周辺の知識が入った説明を聞きながら見るのは違うらしく、
皆熱心に聞き入ってました。

2009年11月7日土曜日

祥雲寺第2回お遍路参拝旅行(10月18日~21日、最終日)

松山で迎えるお遍路巡拝最終日の朝です。
第一回目は初日に天気が少し崩れて雨の中の参拝にもなりましたが
今回は4日通して快晴続きに恵まれ、ありがたい思いでいっぱいです。
今日は前日の行程から抜けた44,45番札所をまずお参りし、続いて52,53番をお参りします。


旅行4日目で旅の疲れも出てくるかと危惧していましたが、(前日の宴会で二日酔いになってた人を除き)皆元気に朝食を頂いています。






4日目最初にお参りしたのは44番大寶寺。
松山東の山間部にあるお寺で、大変に木立が美しいところです。
朝の澄んだ空気の中、一歩一歩坂を踏みしめてお寺に向かいます。


大寶寺本堂前にて。
紅葉前なのがいささか残念ですが、木漏れ日が朝の清々しさと相まって
爽やかな気持ちでお参りが出来ました。
納経所に挨拶に伺ったら、バスガイドさんがお勧めしていたおくま饅頭という名物お菓子を頂いてしまったので、全員で分け合って頂きました。水まんじゅうにも似た柔らかい触感の饅頭で、大変美味しかったです。


44番を出て20分ほど走ると、今回の、というよりバス遍路最大の難所となる45番岩屋寺に到着しました。
写真中央の岩山の真下が目的地になります。
ここは巡礼を計画した時からの要留意札所で、駐車場から20分以上山道と言ってもいい位に傾斜のある坂道を登らなくてはならなくなります。

登り始めて直ぐの出店通りを抜けます。
山道と殆ど変わりない参道ですが、行楽シーズンになると大変ににぎわう場所になります。


三分の一ほど登ったところの山門で集合写真(兼足休め)。
この岩屋寺の住職さんは
「四国遍路も近年交通が整備され、容易にお参りが出来るようになってきた。
 だが楽にお参りが出来る、ではそれは記憶に残るものにはならない。
 だからこの寺はこのとおり厳しい参道のまま残していく」
という趣旨の考えの方だそうで、最初に巡礼を企画した時から参加者のおじいちゃんおばあちゃんが登り切れるかどうか心配の種でした。


登り道も半分を越え、片手は手すりに、片手は杖を頼りにゆっくり登っていきます。
最初威勢よく登っていた人もすっかり大人しくなってしまいました。
それでも参加者同士で励ましあい、手を貸して助けあい、賑やかな登山道になりました。

30分ほどでようやく岩屋寺庫裏に到着。
正面の大きな断崖絶壁が名の由来とのことで、歩き遍路の場合は崖を迂回して裏側の山を越えて到着します。


岩屋寺境内を上から撮影。
山間部の、さらに山の頂上付近のためか、少し木々の紅葉が見られます。


本堂と大師堂へのお参りも了って、帰り支度中の一枚。
デジタルカメラで写真を撮っていると、時折思いがけないいい写真が撮れることがあるので重宝します。
無事お参りも終り、お昼を頂いてから今度は松山北の52,53番へ移動します。
登りつかれから、全員バスでぐっすりお休みになっていました。


53番円明寺にお参りして、今回の巡礼旅行は終わりとなりました。
空港への道中にかすりセンターで土産物を買い、松山空港から東京へ戻ったら夜の7時、宇都宮へは夜10時になってしまいました。
前回と同じ言葉ではありますが沢山の縁に恵まれたよい参拝になりました。
お遍路は「お蔭様で」を知る修行であると言いますが、今回は特に身にしみて感じ入り、参加された皆も達成感とともに感じていただけたようです。
次回は来年の春、いよいよ香川県で残る札所全てを回る計画でいます。また良い参拝になる様がんばりたいです。

2009年11月1日日曜日

祥雲寺第2回お遍路参拝旅行(10月18日~21日、3日目)

3日目に入りましたが皆元気で天気も快晴、絶好の参拝日和です。
今日は41番龍光寺から44,45番を翌日に飛ばして51番石手寺まで一日最多の9ヶ寺回ることになります。
宇和島のホテルを出てバスで東側山間部に移動し、その間にバス車内で朝のお勤めをすませました


お遍路の札所は概ね朝8時から夕方5時の時間で納経所が開けられます。
寺によっては時間外でも山門を開け放し、何時でもお参りできるようにしている所もありますが、御朱印を頂く参拝の場合はこの時間の間に回れる様調整する必要が出てきます。



朝の空気の清々しさ、初秋のカラッとした気候も手伝ってか
気持ちの良いお参りが出来ました。


午前のお参りが終わって、46番浄瑠璃寺前の旅館長珍屋でお昼を頂きました。
この時行き会った別団体の方達は岡山県の島から来たそうです。
そういえば昨日は歩き遍路らしい重装備の欧米人4人組と札所で行き会いました。
4人肩を寄せ合い、ローマ字でルビの振られた般若心経を大きな声で読んでいて、やはりお遍路というのは懐の深い修行なのだなぁ、との感慨をさらに強く感じ入りました。


午後は47番八坂寺から51番まで回り切る予定です。
平野部の札所はその多くが住居の密集地に建てられているため駐車場が若干離れた所に用意される場合がままあります。
歩く時間が増えるのは骨ですが、その分四国の空気と風情に触れられる時間もまた多くなります。
この時は道端の無人販売でみかんの大袋が100円で売られているのを見て、さすが四国と皆で笑い合っていました。


48番西林寺大師堂前にて。
ここで行き会った参拝団は九州は福岡からだそうです。
この場合は同好の士ならぬ同行の士となるのでしょうか、同じお遍路を行じる者同士、行きずりの人同士でも話がはずみます。

3日目最後のお参り、松山市中心部の51番札所石手寺の出店通りにて。
松山市は四国で1,2を争う市街地ですが石手寺は松山城に次ぐ松山有数の観光名所でもあります。行楽シーズンということも手伝い大変多くの人でにぎわっていて活気がありました。


お参りが済んで境内を散策していた所、500羅漢が見られる洞窟があると聞いて入ってみたら方向を間違えて裏山を突き抜けてしまいました。
全員足元に注意しながら引き返し、ようやく洞窟を抜けたらすっかり夕暮れ時になってしまいましたが、怪我の功名とでもいうべきか集合写真を誰はばかることなく取ることが出来ました。

お参りが終わって今日は道後温泉に宿泊になります。
椿館という明治期のモダン建築を模した大きなホテルに荷物を置いて、希望者と一緒に道後温泉本館に入ってきました。
この本館は映画「千と千尋の神隠し」の舞台参考にもなった古い建築で、一階が浴場、二階が大部屋の休憩所、三階が個室の休憩所になっています。

湯あみも了ってライトアップされた道後本館を後ろに記念の一枚。
丁度真上に見える三階の部屋が、夏目漱石の著書に準えた「ぼっちゃんの部屋」にあたります。


今日は四国最後の夜ということで宴会を全員で楽しみました。
9時からロビーで村上水軍太鼓の出し物があったので見に行きましたが、やはり直に聞く上手の太鼓はよく響きます。楽しい夜を過ごさせてもらいました。