2018年4月21日土曜日

30年4月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内

今年は暖かい日が続いたので
例年より藤の花も早く咲き始めています。

本堂前のツツジも色鮮やかに咲き始めました




四諦「苦集滅道」

 お釈迦様は出家をされ、最初は苦行の世界に道を求めました。
当時インドでは、肉体を不浄なものとして痛めつけることで清らかなるを目指す、という考え方のもと、多くの修行者が苦行に励んでいたようです。
その中でお釈迦様は6年間苦行に明け暮れますが、肉体を苦しめる道に答えを見出すことは出来ないとして苦行をやめ、菩提樹の下での坐禅に臨み悟りをひらかれました。

 お釈迦様の悟りとは、この世が無常であるということです。すべてのものは変化していきそのままであることはなく、だから思い通りになるはずもない。
そんな中で私たちはどうやって生きたら、どうしたら安心を得ることが出来るのか。
それを説かれたのが四つの真理、四諦という教えです。

世に苦しみ(苦)がある。心を悩ますことがある。
それはこの世の全てはつながり、縁起によって集まって存在している(集)から確固とした永遠不滅のものはなく、故に望むままには生きられない。
そんな中でどうしたら苦しまずに生きられるのか、望ましい状態になれるのか、苦しみから離れる(滅)ことができるのか。
それには中道(道)を歩むことだ。偏らない、拘らない、捉われない生き方をすることだ。

欲に振り回されることで執着が生まれ、迷い惑い苦しむことになります。
だから欲に振り回されない人間になるように、生活を正し、正しい習慣を身に着けていく。習慣づけていく中で心が正され、それが心の平安「平常心」へとつながるのです。

仏道修行とは日常生活でいかに己を律し、正しい習慣を身に着けて生活できるようにするか、なのです。
それを説き、実践する道場としてお寺が有れる様、今日も精進を心掛けたいです。

                             祥雲寺副住職 安藤淳之

一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?



日時:4月23日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可) 
               6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
               7時20分~8時    (二回目の坐禅)

場所:祥雲寺本堂一階

用意:身一つで大丈夫です。
    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。


注意:初めての方は最初に指導を行います。
    その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。

また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。

 
 

2018年4月17日火曜日

平成30年4月 観音朝詣りのお知らせ

坐禅堂の聖僧さま。坐禅をする文殊さまをお祀りします。


 私は美術品、芸術品を見るのが大好きです。
とはいっても骨董収集の趣味はまるっきりなくて、もっぱら美術館、博物館、展覧会での鑑賞です。

 高校の修学旅行で出会った京都の太秦広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像。
頬に寄せた指先から魂がすくい上げられていく思いがした感動は今も残っています。

 40年近く前、池袋の東武美術館で見た高麗青磁器の数々も忘れません。
青く美しく深みのある色は、人間が作り出した宝石だと思いました。

 台湾の故宮博物館の中国明代の磁器も素晴らしかった。
黄、赤、青など鮮やかな色どりで飾られた寸部の隙もない造形の壺や皿はまさに完璧と言っていいものでした。

 年齢を重ねるに従って惹かれてきたものもあります。
侘(わ)び、寂(さ)という表現で表される芸術品です。
これは、日本人が培ってきた精神風土のなかから生まれたものです。

 備前焼や信楽焼など、本来は日用雑貨であるものに芸術的な意味合いを見出した人達がいました。
見方によっては、完成された美しさをもった中国の磁器と比べるとガラクタです。
ゆがんだ形や、割れて釘止めした器にも風情を見いだしました。

 破袋(やぶれぶくろ)という銘の水差しを見たときにはびっくりしました。
水入れなのに胴の表面は大きなひびが入っていて形もゆがんでいる。
全くの失敗作のようですが、差し口は大きく重厚さに満ちている。
まるで土が自らをこね上げて創り出したようで、まことに雄渾なおもむきです。

 調和のとれた美しさに心洗われるのも人間、ゆがみや破れなど調和の対極に心をゆすぶられ力づけられるのも人間。
そして調和も不条理もこの世界、宇宙、天地万物の中にあるものであり、人間も、その精神もここから生まれたものです。

 この世界の持っているものと人間の精神が感応して、人間にとって意味あるものとして現れ出でたのが芸術であり、それを生み出すのが芸術家であるといえましょう。

 平成30年4月15日
                                       祥雲寺住職 安藤明之

十八日の朝詣りは午前6時から行います。