2010年9月26日日曜日

平成22年お彼岸

いよいよ秋彼岸の時節となりました。
今年は例年にない酷暑となり、彼岸の数日前までクーラーが必要になるほど
気温の高い日が続きました。

しかし「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通りとはいえ
一転彼岸の中日には逆にストーブを引っ張り出すほどの寒さとなり
近年のあまりの異常気象ぶりに改めて危惧を覚えます。


中日を過ぎると日差しも秋らしく、
明るくはあっても夏のような強さの無いやわらかい印象を受けます。


しだれ桜の下に彼岸花が咲きました。
今年は酷暑の影響で咲くのが大分遅れましたが(昨年は15日開花)
中日の前日22日には花開き、秋の彼岸を静かに彩ってくれていました。

毎年この時期に彼岸花がかかさず咲いていることを、佐野の和尚さんは
「自然の荘厳」と形容していました。
日本人が古来より大切な日として行じられてきたお彼岸に合わせ、
この時期を荘厳(神聖な場、時間として飾り彩る)してくれる華に、
自然の恩徳や天地の恵みを感じとる
とても素敵な形容だな、と感じました。


本日で秋彼岸も終日となりました。
毎年この日に合わせて、初夏に取り払っていた障子をはめ直しています。
丁度寒さを感じてくる時期でもあり、ちょっとした冬支度の気分にさせてくれます。



本日撮った彼岸花
彼岸花は別名曼珠沙華とも言い、法華経等の仏典に由来し「天上の花」の意味をもつと言われています。




2010年9月22日水曜日

平成22年9月朝参り

9月の18日朝、数日前まで異常な酷暑が続いていたのがウソのように爽やかな朝になりました。
先日の台風が残った夏を一掃し、秋の到来を手助けしてくれたかのようです。


本堂前での朝詣り風景。
空には立派ないわし雲。遅れてきた秋の到着を教えてくれます。


裏の山ではまだまだ蚊が元気で大分喰われてしまいましたが
きもちのいい朝日の中爽やかなお参りとなりました。


こちらは14、15日に行われました曹洞宗寺院の僧侶を対象としました
現職研修という勉強会です。
現在祥雲寺で栃木の曹洞宗寺院を取りまとめる宗務所を引き受けており、
今年もまた昨年に引き続き、現職研修を祥雲寺本堂で行いました。

宗務所も今年限りとなるので祥雲寺を会場に現職研修が行われるのも
これで最後となります。
数十人の僧侶が古式にのっとり研修を勤めるのは、ある種の緊張感の感じられる場でありました。
来年からは祥雲寺からこの光景が無くなるのは若干さびしくもあります。

2010年9月13日月曜日

平成22年9月朝参りお知らせ


   庫裏横手の百日紅

 NHK朝の連続テレビドラマ「ゲゲゲの女房」は久し振りに面白い。視聴率も上々のようです。
 私はドラマの中の受け手の世代になります。紙芝居、貸本漫画、漫画の月刊少年誌から週刊少年誌、5歳のころから高校生まで、すべて同時代のこととして育ちました。「悪魔くん」や「鬼太郎」も面白く読んでいました。大学生になってもドラマの中で「ゼタ」という名で出てくる「ガロ」という漫画雑誌はよく読んでいました。
 ドラマの中で水木しげるさんの兵隊時代の話は、父親が同年代の人達と話しているのをそばで聞いていた思い出と重なります。特に印象に残るのは水木さんの次の言葉です。
 「自分は生きて帰ったものには同情せんのです。死んでいった人達はかわいそうだ」
 真珠湾攻撃から終戦まで、祥雲寺のお檀家で戦死した人達は166人。ニューギニアで、ルソンで、ビルマで、命を散らしていきました。無事に帰ってきた人達も悲惨な戦争を骨の髄まで味わった人達です。父も2年半の中国戦線、さらに千島守備隊から2年間のシベリヤ抑留に遭いました。その人たちが戦中のことを話していて最後によく言っていた言葉が「何だかんだ言ったって俺たちは幸せだ。死んでいったやつらは本当にかわいそうだ」でした。
 水木さんの、生きて帰ってきたものには同情しないという言葉は、戦争の悲惨を本当に味わった人にして言えることです。死者への悼みであり、自己を含めて生きて帰ってきたものへの励ましであり、平和のありがたさのうったえでもあります。過酷な時代を生きた大正年代の多くが鬼籍に入ろうとしている今日、平和な時代に生きることの出来た私のような戦後世代がよくよくかみしめなければならない時代のメッセージだと思いました。
 平成22年9月15日
                                     祥雲寺住職 安藤明之

十八日の観音様の朝詣りは

午前六時から行います。

2010年9月1日水曜日

平成22年大施餓鬼会

祥雲寺では毎年8月29日に
全檀家を対象とした先祖供養の施餓鬼法要を行っています。
今年も8月の終わりに、年間最大の行事を行う日がやってきました。


天気は薄く曇っていて日差しも強くなく、人が集まる日として見るなら上々。
去年から鹿沼の菊屋仏具店が出店してくれて、来る人に色々と新しい物を勧めてくれます。


祥雲寺ご詠歌講の皆さんによる本尊様への奉詠。
例年は午前中に発表会を行っていますが、今年は奉詠のみを行いました。
綺麗で落ち着く音調が特徴の御詠歌ですが、やはり大人数がそろって詠みあげると迫力が出て、素晴らしい合唱になっていました。


お昼時になり、檀家総会から出席されている人にお昼の振る舞いになります。
例年市役所横の田中そば屋さんが出張してくれて、
そば屋のそばうどんが婦人会の皆さんの手で配膳されています。


総会会場。
お昼を談笑しながら頂き、少し休んで午後の法話法要に臨みます。


午後1時から説教師さんによる法話が始まります。
説教師は千葉県から石川光学老師にお越し頂き、お願いしています。


午後2時になり施餓鬼法要が始まります。
お施餓鬼というのは、文字通り「餓鬼に施す」ということです。
これは自らの命を尊び感謝をし功徳を願うとともに
追善供養として三界(全ての世界)萬霊の有縁無縁の精霊を供養し
併せて檀信徒の御先祖様方の供養を行う行事なのです。


参加されたお檀家さん方の焼香。
お釈迦様は
「施餓鬼棚に新鮮な山海の飲食をお供えし、修行僧に施餓鬼会の法要を営んでもらいなさい。修行僧のお経の法力によって、少量の供物は無量の供物となり、全ての餓鬼に施されるであろう。そして、多くの餓鬼は救われ、お前も長寿を得られ、さらに尊いお経の功徳によって、悟りを開くことも出来るだろう」
とお弟子さんに語られたことがあり、これがお施餓鬼の由来となっています



施餓鬼会が終わって供養したお塔婆を外に並べています。
本数が多い為、来た人が受け取りやすいように外に木枠を設け、
地域や五十音順で並べて受け取ってもらっています。
例年5月から準備をし始める大変な行事ですが、

それだけにこれが終わると「夏が終わった」としみじみ感じ入ります。