2015年12月19日土曜日

27年12月 早朝坐禅会「指月の会」案内

初転法輪(初めて釈尊が説法した場所)の聖地、鹿野園



アショーカ王の建てたダメーク大塔
 
 
「精舎の西南に石造のストゥーパ(塔)がある。無憂王が建てたものである。~如来が正覚を成ぜられ(悟りを開く)、初めて法輪を転じられた処である。~阿若憍陳如ら(釈尊と共に修行した5人の仲間ら)がここへやってきて自ら禅定を習した処である。~如来は循々と指導し五人に至妙の道理を示され、雨安居が終わるころ、五人は悟りを得た。」
                         『大唐西域記』 巻七・一初転法輪の聖地
 
 
 二月に行う祥雲寺インド仏跡参拝旅行に向け、先月に続いて大唐西域記から参拝する聖地について引いてみます。



 お釈迦さまは29歳で出家され、35歳で悟りを得られました。
この6年間の間、苦行生活を共にした五人の仲間がいたのです。

 6年間、5人の仲間と苦行を行ったが悟りを得る事はなく、苦行は真理の法でないと考え、苦行をやめてしまいました。
それを見た仲間たちは、堕落したと思い去っていったのです。

 その後お釈迦さまは尼連禅河に沐浴し、菩提樹下に坐して悟りを得られ、共に修行した仲間にこの無上の悟りを伝えようと坐を立たれました。

 鹿野園に居た5人は遠くから歩み来るお釈迦様を見つけ、最初は無視しようと決めていましたが、悟りを得たお姿の清らかな佇まいに心動かされ、起き上がって礼をもって迎え教えを請いました。

 お釈迦さまはこの時初めて説法をします。
説法は一日だけでは終わらず、一週間かかって五人の比丘に教えたのです。
鹿野園は初めて真理が世に説かれた地として歴史に名を遺す地となりました。


                                              祥雲寺副住職 安藤淳之






一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

日時:12月21日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
     6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
     7時20分~8時    (二回目の坐禅)

場所:祥雲寺本堂一階

用意:身一つで大丈夫です。
    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。

 




2015年12月13日日曜日

平成27年12月観音朝詣りのお知らせ

庫裡の前の舗装工事。大谷石を外してアスファルトを敷きます。


工事の為今週は坂上に駐車できなくなります。
 
 12月1日、無縁供養の日に、羅漢の会(祥雲寺石彫会)の人達が一年がかりで彫っていた12体の羅漢の開眼・安座の法要を修行しました。
これまでに完成した像の数は404体。
ようやく400体を超えました。
 
 本堂に向かって左側に並ぶ十六大阿羅漢像は、羅漢会の人たちが共同で2年間を掛けて彫刻士、平成14年に開眼されたものです。
 
 その時には、完成を記念して、羅漢の会メンバー20名と大分県の石仏巡拝の旅をしました。
大分県にはたくさんの磨崖仏があります。
特に県北東の国東半島は神仏習合であった宇佐八幡宮の道場として天台密教の系統に属する仏像がたくさん彫られており、まさに仏の国の趣でした。
 
 また県南部にはそれとは別の系統に属する芸術性の高い石仏群があります。
中でも平安時代から鎌倉時代にかけて彫られたという臼杵石仏は、磨崖仏としては日本唯一の国宝に指定されています。
平安後期、京都では仏師定朝によって寄木造りによる国風の優美な仏像彫刻が完成されました。
臼杵の石仏は、その様式を受け継いでおり、なおかつ石像らしい力強さを兼ね備えている日本石像彫刻の最高峰のものだそうです。
 
 それより以前に、檀家の方達とインドを旅してカジュラホー、エローラなどのヒンズー教の素晴らしい石像に驚嘆したことがありますが、日本にもこんな素晴らしい石像があったのかと感激したものです。
 
 時代、国、宗教は異なっても、祈りを込め像を作り上げる人間の営みに変わりはありません。
世界にはイスラム教、キリスト教など、偶像崇拝を否定する宗教もあります。
しかし、像には人間の魂の奥底を揺さぶるものがあります。
わたしには、敬虔な信仰に支えられた像はそれ自体が崇高なものだと思えるのです。
 
平成27年12月13日
                                             祥雲寺住職 安藤明之
 
十八日の観音様の朝詣りは
午前6時半から行います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


平成27年12月1日無縁供養、水子供養

毎年12月1日は祥雲寺無縁供養、水子地蔵尊供養の日です。

祥雲寺の無縁供養は天明年間(二百二十年前)に起源をもつ伝統行事です。
私たちは普段の行いとして親類縁者の為の供養(一周忌等の年回供養)を行いますが、無縁供養は直接のつながりがなくとも自分たちに恵みを与えている諸々に、そして天地万物に対して行われる報恩感謝の供養です。

この日に合わせて祥雲寺石彫り会「羅漢の会」の石仏の点眼式、水子地蔵尊の供養、また来山して頂いた皆さんに楽しんでもらえるよう演奏会を行っています。
羅漢渓の前で新しい羅漢像を設置する点眼式の法要
 
香を焚き洒水して回り場を清めています。
 
 
引き続き無縁供養、ご詠歌のお唱えに合わせて始まります。
 
 
無縁供養
 
無縁塔にあげられた供養塔婆
最後に水子地蔵さんの前での供養法要
午後は音楽会
今年は船村徹氏の弟子、えひめ憲一さんに熱唱していただきました。
本堂内には陶芸会、写経会の展示
 
 
 

2015年11月21日土曜日

27年11月 早朝坐禅会「指月の会」案内

苦行後のお釈迦様に乳粥を供養したスジャータの村のストゥーパ

「憍陳如らの住居の東南に卒塔婆がある。菩薩が尼連禅那河に入って沐浴された処である。河の側の遠からざる所は、菩薩がここで乳粥を受けて食された場所である。」
                      『大唐西域記』 尼連禅那河の沐浴


 二月に行う祥雲寺インド仏跡参拝旅行に向け、先月に続いて大唐西域記から引いてみます。



 「調身 調息 調心」という禅語があります。
これは坐禅を行う際の流れを表したものです。
以前ある老師がこれを説明するときに
「心という形を持たない、捉えられないものを安定させるにはどうしたらよいか。心を水のようなものと捉え、その入れ物である体を安定するように調え、内面を整えるために呼吸を調え、そうすることで心を調える。」
と言われていました。

 調身、身体を安定させるというのはどういうことか。
それは坐禅の時の足を組み、背筋を伸ばした坐禅の姿勢をとるだけを言うのではなく、普段の生活習慣や食習慣を含めた生活全般を捉えた言葉になります。
日日の生活を改め程々の睡眠をとり、美食暴食極端に走ることなく節度のある食事をとる。
言えば極々当たり前のことでありますが、まずこの当たり前のところから入るのが「調身 調息 調心」の第一歩となります。


 かつてお釈迦様が覚りを求めて6年間の苦行を行い、苦しみは人を浄めず、知慧を生むことはないと述べられて、苦行生活を終えられます。
苦行でやつれた体を尼連禅那河(ネーランジャヤー川)の流れで浄め、近くの村娘スジャータから乳粥の供養を受けました。
この供養を受けて体は力を取り戻し、以後菩提樹の下で一週間の坐禅を修行されて覚りを開かれました。

 この成道の故事に則り、禅宗の修行道場では12月の1日から8日は坐禅の修行期間とされます。
七日目は徹夜で坐禅を行い、最後は法要を行って、その中で五味粥という粥を少しだけいただきます。
それはスジャータの故事に想いを馳せ、やつれた体に染み渡る滋味をお釈迦様の覚りとして味わう行為と言えるのかもしれません。


                                 祥雲寺副住職 安藤淳之


一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

日時:11月23日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
     6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
     7時20分~8時    (二回目の坐禅)

場所:祥雲寺本堂一階

用意:身一つで大丈夫です。
    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。


※来月は年末になりすぎてしまうので第3週の23日(月)に行います。





2015年11月15日日曜日

平成27年11月観音朝詣りのお知らせ

ご詠歌の練習会。

毎月一回行っています。
 平成の初めごろ、祥雲寺の西国霊場を建立に当たって、庭師の佐藤明さんという方にたいへん世話になりました。

佐藤さんは石屋の金野さんと共に西国巡礼に同道して各霊場の雰囲気を身に感じ、それをもとに庭木や築山の配置を考えてくれたのです。

その佐藤さんから聞いた庭造りについての話です。

 施主の意向をよく聞き、その目的に沿って、庭のある場所の地形、土質、日当たり、さらにはそこから見える景色まで考えに入れて構想を練り作業を進めていきます。
将来この庭がどうなるのかを思い描きながら仕事をすることは庭師冥利に尽きるし、そうして苦労をした庭には後の手入れにも身が入ります。

しかし何年かすると庭が独り歩きを始めてしまい、思い通りにならなくなります。
それでも愛着のある庭ですからさらに手入れを続けていくと何年かして最初に思い描いたものとは全然別のものになってしまいます。
ですがその庭は決まってはるかに素晴らしいものになっているというのです。
それを佐藤さんは「時のたつのは素晴らしい」と表現していました。

 ものを育てるには愛着がいります。
植木屋さんが細かい手入れを続けられるのも自分の造りだしたものに対する愛着あればこそでしょう。
ところで、庭が一人歩きを始めたときに、思い通りにならないといって手入れを止めてしまったり、無理やり自分の思い描いたとおりにしようとしたらどうでしょう。
素晴らしい庭には決してならない筈です。

 庭木への手入れは子供へ愛情をそそぐことにも似ていて示唆に富む話だと感銘を受けました。

                          平成27年11月15日 祥雲寺住職 安藤明之

十八日の観音様の朝詣りは午前6時半から行います。

2015年10月18日日曜日

27年10月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内

ネパールとの国境近く、釈尊成長の地カピラヴァストゥ城と目される遺跡

池に咲く蓮。蓮はインドを原産とする仏教の象徴とされる花


「城の東北40余里に卒塔婆がある。太子(若き日の釈尊)が樹陰に坐り田を耕すのを見られた所である。ここで坐禅をして欲を離れることができた。浄飯王(釈尊の父王)は太子が樹陰に坐り禅定に入られ、日の光はすでに廻り〔他の場所を〕照らしているのに、樹影は移ることがないのが目に入り、心に不思議に感じいよいよ敬愛を深くした。」
                                     『大唐西域記』二ー六 贍部樹下の静思



 二月に行う祥雲寺インド仏跡参拝旅行に向け、先月に続いて大唐西域記からお釈迦様が坐禅を行った場面を引いてみます。

 お釈迦さまはシャカ族の王子として生まれ、一族の城カピラヴァストゥ城で育ちました。
お釈迦さまは「聖俗何れの道であれ偉大な人となる」との予言を受けていたので、父王は大変に心を配り、お釈迦様の成長を見守りました。

 ある日のこと、父王が儀式(種まき式)を行っているとき、涼しいジャンブ樹の木陰に坐禅をされました。
後に出家をされ、他の修行者たちと6年間苦行を行われた末に、苦しみは人を浄めず、知慧を生むことはないと述べられます。
そして続いて、昔木陰で坐禅をした時を思い出されました

「もろもろの欲を確かに離れ、もろもろの不善の法を離れ、大まかな考察のある、細やかな考察のある、遠離から生じた喜びと楽のある、第一禅に達して住んだことを憶えている。これこそが覚りへの道にちがいない」(『大サッチャカ経』)

この後、お釈迦さまは菩提樹の下で坐禅を行い、覚りを開かれました。

 写真の場所、カピラヴァストゥ城はお釈迦さま生育の地、覚りを開くに至る源となった体験の場所でもあります。

 お釈迦さま存命の間にシャカ族は滅亡し、城は失われます。
今日では広大に広がる田畑のなかに城の土台が遺跡として残り、かつての姿を思い浮かべる基となってくれています。

                                                            祥雲寺副住職 安藤淳之

一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

日時:10月26日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
     6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
     7時20分~8時    (二回目の坐禅)

場所:祥雲寺本堂一階

用意:身一つで大丈夫です。
    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。


また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。




2015年10月14日水曜日

平成27年10月観音朝詣りのお知らせ

10月1日、梅花特派講習会(トップクラスのご詠歌の先生に教わる機会です

長崎市地蔵寺の塩屋先生から教わっています。
 
 境内を飛び交うカラスの数が近年とみに増えました。
ねぐらは2キロ以上北の山にあって、祥雲寺は町への通り道に当たり、夕方裏山に何百羽と集まって一休みし、いっせいに飛び立つさまは壮観です。

 現代ではカラスは嫌われ者になってしまいました。
町中にカラスに荒らされたゴミ袋の残骸を見かけます。
農村の果物、作物の被害も甚大です。
お寺でも、墓地に上げた花が抜かれて散らかされます。
それどころか、ステンレス製のネジなしの花立てが持っていかれることもあります。
光るものに興味があるのですね。
ともかくいたずらで油断も隙もあったものじゃない。
にくらしい。

 しかし、カラスは昔から特別な能力を持った鳥として、世界のどこの国でも一目置かれてきました。
神話の八咫烏のように神の使いとされ、あがめられることが多いのです。
真っ黒な姿で腐肉を食うことから死に神を連想し、不吉なものとされもしますが、それはまたあの世とこの世を結ぶ生き物とされ畏敬されることでもあったのです。

 カラスは知恵のある鳥です。
感情をもってお互いに声を掛け合っているそうです。
必要に応じて集団で敵に立ち向かったり、助け合ったりします。
夫婦つがいで子を大事に育て、母ガラスが巣立ちさせる様子は「カラスの子別れ」という言葉があるように昔から人の知るところでした。
私は本堂の前で、二羽のカラスが供えた花を引き抜いて空中でキャッチボールのようにして遊んでいるのを見たことがあります。

 人間のすぐそばにいて、人間と通じあうような生き方をしている。
それが「夕焼け小焼け」や「七つの子」のような親しみを込めた童謡になったのでしょう。

 カラスの数が増えるのや、人間の出す大量のごみが原因らしい。
鳥は飛ぶために身軽でなければならない。
食いだめができないから、残飯などが少なくなれば自然に数が減るはずだといわれています。
 
 人間の生活を改めることによって、本来あるべきカラスと人間のよい関わりが復活すればいいなと思います。

 平静27年10月15日
                               祥雲寺住職 安藤明之

十八日の朝詣りは午前6時から行います。

2015年9月22日火曜日

27年9月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内

ブッダガヤー大菩提寺、金剛座の垣根。

夜分にもお参りの人は絶えません。



菩提樹の垣の真中に金剛座がある。昔、賢劫の初めにできたもので、大地と共に出たものである。~賢劫中の千仏がここに坐り金剛定に入られたので金剛座と言い、悟りを開かれた所であるので菩提道場とも言う。

                        『大唐西域記』6.2金剛座

 昨年のはじめにインドの仏跡(お釈迦さま由来の遺跡)参拝をしてきました。
大変に素晴らしい巡礼であったので、来年二月にお檀家さん方と団体参拝旅行をするべく計画中です。
今度は先導する立場となるので勉強を始めましたが、テキストとして最適と手に取ったのが玄奘三蔵の『大唐西域記』です。

 玄奘は唐の時代の僧侶です。
仏教を構成する経(仏の教え)、律(僧侶の決まり事)、論(仏教の解釈論)の三つをきちんと習得した人への敬意の表れとして玄奘三蔵とも呼ばれます。
玄奘は仏教を学ぶ中で釈尊が実際に歩まれたインドの地と、そこに根付く最初のころの教えに憧れ、ついには国禁を犯して出国します。
シルクロードを歩みヒンドゥークシュ山脈を越えてインドに渡り、16年をかけて各地を回って膨大な経典を中国に持ち帰りました。

 この旅行の記録が『大唐西域記』です。
当時のインドや中央アジアの貴重な記録であり、これを元とした伝奇小説『西遊記』を知らない人はいないでしょう。

 上記の文はお釈迦様が悟りを開いたブッダガヤーを見聞した章のものです。
お釈迦さまは29歳で出家をされ、6年間の苦行を経て、坐禅こそが悟りへの道と見極められて、菩提樹の下に座して坐禅をされました。
悟りを開かれた地ブッダガヤーは聖地としてお参りの人は昼も夜も絶えません。
それは、お釈迦様の教え、心の平安を説く仏教が、現代社会においてなおのこと必要とされているからであるのだと思います。

                       祥雲寺副住職 安藤淳之


一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

日時:9月28日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
     6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
     7時20分~8時    (二回目の坐禅)

場所:祥雲寺本堂一階

用意:身一つで大丈夫です。
    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。




また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。



                        

2015年9月17日木曜日

平成27年9月観音朝詣りのお知らせ



本堂前、西国観音様
 
今年は2週間近く早く彼岸花が咲きました。
 島田裕己さんという宗教学者がゼロ葬というのを提案しています。
 
 遺体を火葬場に持って行き、火葬が終わったら遺骨を受け取らず火葬場で処分してもらうというのです。
墓地は要らず、散骨等という手間もとらない、きわめて安上がりな葬儀が可能であると言います。

 遺骨を火葬場が引き取るのかと疑問に思う人が大部分だと思います。
しかし、関西地方では昔から、のど仏など少量の遺骨を遺族が受け取り大部分を火葬場で処分する習慣があります。
民間運営が多い東京の火葬場ではそれにならって遺骨全部を火葬場で引き取るところもあるかもしれません。

 問題は、この人の言うゼロ葬が、どんなにもっともらしい理屈をこねても、葬儀ではなく結局は遺体の処分にしかならないということです。

 ゼロ葬をする人も、亡くなった人と親子であれ夫婦であれ親族であれ特別な関係にあるはずです。
生活を共にし、共にした、あるいは血の絆を持った人です。

 そのような近しい人を失って、悲しみ、悼(いた)むのは、人間の自然な感情です。悼まない人もいるかもしれないがそれは特殊な人であったり、よほどの事情のある場合です。

 葬儀は、悼み、悲しみの感情を、儀式を通して安心へと導くものです。
儀式を通すことによって、止め処なさや不条理さを伴った感情という中にある悲しみが、純化され、深められ、悼む人の心も安らぐのです。

 しかも、このような安心への導きが必要なのは、近親者だけではありません。人がこの世を生きる中で生まれる絆ー縁といいますーある人にも必要なのです。

 宗教学者ならば、以上述べたことは百も承知であるはずです。
それなのにゼロ葬なというのは、どういう了見があってのことでしょうか。

 親子、兄弟、親族の結びつきは、理屈を超えたものであり、それによって社会が成り立っているのです。
それをどうでもよいとするならば、遺産の相続など私有財産に関することも成り立たなくなります。

 平成27年9月15日
                              祥雲寺住職 安藤明之

十八日の朝詣りは午前6時から行います。

2015年9月16日水曜日

平成27年大施餓鬼会


毎年8月29日は祥雲寺の年中最大の行事、お施餓鬼の日となります。
お檀家さん全ての御先祖様の供養を行う、一年で一番忙しい日です。


御詠歌会の皆さんで仏様に奉詠をします。 

午前中に檀信徒総会
午後の最初は法話。今年は山形の三部義道老師にお話しいただきました。


法要、宇都宮中の曹洞宗のお寺さん。
仏様に一年に一度のお参り。

2015年8月23日日曜日

27年8月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内

昨年のライオンズクラブ坐禅会
妄息めば寂生じ、寂生ぜば智現じ、智現ずれば真を見る  『坐禅用心記』


先日お盆明けに高野山にお参りしてきました。
高野山は日本有数の規模を誇る宗教都市です。
日本仏教に大きな足跡を残された弘法大師空海の教えが今も生きている聖地です。

宿坊に泊り、明け方の澄んだ空気の中で坐禅を行っていると、高野山で1200年もの間精進されてきた先人たちの足跡が、自ずと厳かさを以てわが身を正してくれる、そんな気がします。
宗旨は違えど、同じ仏道を歩む身として、先達の歩みの連なりに一時身を置かせていただこうとして坐っていると、自然に心が凪いできて、木立の静けさが心地よく聴こえてきました。
自分という思いを立てることもなくなれば、ただこの霊山に連なる仏塔や木々の一つであるかのような大きな広がりを感じます。

思い返せばこの地を開いた弘法大師も
「雲が一つ大空に浮かび風に流されるままに、自分にも定まれる場所などない。
生まれながらに山容を愛し、人里とは無縁に生き、ただ月を見て松の根もとに横臥するばかりだ」
という言葉を残されていました。
幼いころから方々の山々を歩き回られた大師は、終の家とされたのもまた深山幽谷のこの高野山でした。
山を愛するのと同時、心を煩わせる世間から離れた、この静かな時間を尊ばれたのではないか。
そのようなことを思いながら朝のお勤めに臨み、奥の院に詣で、大師にご挨拶をしてきました。

                          祥雲寺副住職 安藤淳之


一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?


日時:8月24日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
     6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
     7時20分~8時    (二回目の坐禅)

場所:祥雲寺本堂一階

用意:身一つで大丈夫です。
    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。





また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。



2015年8月13日木曜日

27年8月観音朝詣りのお知らせ

8月13日、迎え火の祭壇

6月に沖縄に旅行しました。

研修旅行でしたので、二日目は沖縄戦を伝えていこうとするボランティア会のガイドの方と、南部の戦場跡を巡りました。
 
 全島が戦場となり、住民を巻き込んだ戦闘で日本国内で最大の惨禍に見舞われたことはもちろん知っています。
同情も寄せてきました。

 しかし、現地に行って、ひめゆりの塔の資料館で戦場に散った少女たちの写真を目にし、あるいは軍人と民間人が一緒に隠れた鍾乳洞に入って当時の悲惨な状況について説明を受けると、戦争のむごさが身に伝わってきます。
米軍に日本人が追いつめられた沖縄島南端の海岸はまことに風光明媚ですが、その美しさがかえって悲しさをつのらせます。

 知識ではなく、実感として沖縄戦にふれることが多少ともできました。
沖縄県民の基地反対の心情に対しても理解を深めることができました。

 大変有意義な旅行だったのですが、心に掛かることがありました。

 それは、ガイドさんの熱意が空回りしていると感じたことです。
戦争のむごさ、沖縄の惨状についてこれでもか、これでもかと説明します。
炎天下で、あるいは湿気に満ちた真っ暗な洞窟の中で、これが真実である、これを知らなければならないとくり返されると、かえって辟易してしまうのです。

 戦後七十年、戦争の悲惨さを伝えることがむずかしくなっているといわれます。
実体験として伝える人が少なくなったのはやむを得ません。
しかし、聞こうとする人が少なくなるのは問題です。

 学校などで戦争体験を聞く催しが敬遠されている、語りべのお年寄りが修学旅行生から侮辱された、などの報道がされています。

 真実であっても、それを伝えることは難しいのです。
聞いてくれないことを嘆くのではなく、聞き手の心情を思いやり、その感性を信じて語りかけることが大切であると思いました。

 お釈迦様の教えを無上なるものと信じ、世の人々に伝えることを使命としている私にとっても、戒めとしなければならないと感じました。

                           平成27年8月13日 祥雲寺住職 安藤明之

十八日の朝詣りは午前6時から行います。
                                

8月7日、初盆施食会

8月はお盆の月です。亡くなられた方たちを迎える月です。
毎年8月7日は今年初盆の方に集まってもらい
初盆の説明と供養を行っています。
 
 
午前はお盆の迎え方、盆棚の作り方の説明

お昼は精進料理、みな一緒になっていただきます。

施食棚

午後はご供養の法要

7月7日べんてん祭り

7月7日は七夕の日。
祥雲寺では毎年この日に境内のべんてん様のおまつりを行っています。
今年は天気が崩れそうな中何とか持ってくれて、例年より多くの人にお参りいただけました。
 
 
べんてんさんののぼり旗
導師上殿

法要の中、導師が参詣者の前を回り、厄難消除を願う。
ご挨拶

お祭り後のすりばち灸、残り半年の無病息災を願う。




6月11日、12日 祥雲寺本山参拝旅行

今年も夏の本番、お盆の時期となりました。
天候が崩れて、この10年で初めて雨の迎え盆となりましたが
人が一番多く来る午前中はどうにかもってくれました。
 
一息ついて今年を振り返ってみると
ブログの方では春以降の行事をあまり掲載できていませんでした。
せっかくですのでいくつかの行事の記録をUPします。
 
 
 
祥雲寺では毎年曹洞宗の二つある本山、永平寺と總持寺を交互に団参を組み旅行してお参りしています。
今年は横浜鶴見にある總持寺に一泊二日でお参りしてきました。
 

本堂にお参りし、千畳敷の大きい本堂でご先祖さんの供養をしてもらいました。

本堂前で記念の一枚。

伊豆の銀水荘に宿泊、夜は大宴会


二日目は観光、堂ヶ島遊覧船での一枚。

記憶遺産となる前の韮山反射炉
二日目は少々振られましたが
楽しくお参りができました。

2015年7月25日土曜日

27年7月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内

曹洞宗大本山總持寺 太祖堂(千畳敷の大本堂、参拝旅行の際)

挙体数欠 内外放寛(こたいすうけつ ないげほうかん)  『弁道法』

 私が坐禅を初めて行ったのは駒澤大学の授業の一コマででした。
一年間毎週行いましたが、「何故こんなつまらないことが修行なのか」と退屈をおぼえながら参加していたことを思い出します。
大学を卒業して福井の永平寺、横浜の總持寺で本格的に出家修行を行い、そこで初めて坐禅が素晴らしい修行なのだ、と納得することができるようになりました。
ですが、坐禅を「楽しい」と思って修行できるようになったのは福井武生にある御誕生寺、板橋禅師の教えを受けてからになります。

 坐禅は調身(身を調える)調息(息を調える)調心(心を調える)であるが、息を調える事こそがとても重要となる。
禅師様はそのように説かれ、身体の呼吸機能について書かれた本を修行僧全員で読み、またヨガの先生を招いて研修を定期的に行ったりもしました。

 その中で学んだ、体の呼吸機能全体を活用する「全体呼吸法」というものが、上記の『弁道法』の一節と相通じることがわかりました。

挙体数欠 内外放寛(欠というのは口から息を吐くこと、欠伸〈あくび〉)

この文は、道元禅師が記した修行の実践手法の中で坐禅の際の呼吸の要点を書いた部分になります。
鼻から息を吸いながら体が伸びるように(挙体)意識し、口から息を吐くときに全身の緊張をゆるめます。 
内外の内は丹田(下腹部)から出る息、外は身体の姿勢。これらを緩めることが放寛です。

 呼吸を学ぶことで姿勢もまた調え易くなり、安定して楽に坐禅を行えるようになります。
こうして身体と呼吸を落ち着けて初めて、坐禅が「安楽の法門」なのだと実感できるようになってきました。

                                祥雲寺副住職 安藤淳之



一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?


日時:7月27日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
     6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
     7時20分~8時    (二回目の坐禅)

場所:祥雲寺本堂一階

用意:身一つで大丈夫です。
    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。





また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
次回の7月29日は研修の為お休みとさせてもらいますが、興味を持たれた方はお問い合わせください。


2015年7月15日水曜日

平成27年7月観音朝詣りのお知らせ

昭和初めころの旧本堂と焼ける前の天然記念物しだれ桜


 御詠歌講に久しぶりに二人の方が入講しました。

御詠歌は西国三十三番観音霊場や四国八十八カ所霊場の巡礼歌に始まります。
千年にわたって伝えられた古い曲もあれば、古賀政男さんや遠藤実さんが作曲した新しい曲もあります。
日本の音曲の源流であり、高名な作曲家も作曲してみたいと考えるらしいのです。

 ところで、初心の方には、お作法を最初にしっかりとおぼえてもらいます。

 御詠歌は信仰の行ですから、先ず大切なのは合掌の仕方など礼拝の作法です。
そして経典や楽器である鈴と鉦(かね・ショウ)の扱い方や袱紗への包み方、開き方を学びます。
姿勢を正し、用いるものを大切に扱うことを体でおぼえます。
作法は自然に無心の行となります。

 習い事にあたって先ず作法から入るというのは日本の芸道に共通しています。
それは無心になってこそ、表面に現れるものの奥にある、「こころ」と相通じることができるからです。

 かたち、動作を大切にし、そこから本質に入っていくのは特に禅宗で強調されることです。
それが修行なのです。

 修行道場に入ると先ず教えられるのが「威儀即仏法(いぎそくぶっぽう)」という言葉です。
身支度を調え、すわり方、立ち方、歩き方にいたるまですべてに心を配るようにと厳しく指導されます。

 坐禅では調身、調息、調心といって、先ず姿勢を調え息を調える。
身体が最初なのです。
最後の心を調えるというのも、調えようとして心を追いかけることは厳しくいましめられます。

 求道の心を持ってかたちを整えていく、そのかたちの中にこころが現れるのです。

 御詠歌の作法は、茶道などに比べればまことに簡単なもので、作法というほどのものでないといわれそうですが、その先にある広大無辺の仏さまの世界を歌いあげるには、真剣に努めなければならないとされるのです。

平成27年7月15日
                       祥雲寺住職 安藤明之

十八日の朝詣りは午前6時から行います。

2015年6月20日土曜日

27年6月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内

水戸から来られた「巨樹に親しむ」会の皆さん

しだれ桜や市役所前の大銀杏を見にバスで来られました


迷故三界城 悟故十方空 本來無東西 何處有南北  -「四句の祈り」
(迷うが故に三界は城 悟るが故に十方は空 本来東西は無く 何処に南北が有ろうか)

 祥雲寺では檀家さんに呼びかけ、曹洞宗の本山である永平寺と總持寺に毎年交互に団体参拝旅行を行っています。
永平寺に行く年は宿坊に宿泊し、翌日の朝のお勤めにご一緒するスケジュールをとっていますが、この時夜の坐禅に参加することが個人的な楽しみとなっています。

 永平寺は曹洞宗の日本初祖道元禅師が開いたお寺です。
坐禅を修行する僧堂のすぐ上には、道元禅師の霊廟である承陽殿があります。
まさに、道元禅師の御膝元で坐禅を行える場であるのです。

 修行時代、空き時間に一人坐禅をしていると、身心が落ち着いてくるのと同時、永平寺を抱いている志比の山谷の静けさとでもいうものが染み入ってきました。
坐禅に打ち込んでいる時、修行の疲れや共同生活故の対人的な悩みから離れて、狭い自分という檻から離れて、重荷を置いたような清々しい心持であったことをよく覚えています。

 修行を終えて「行雲流水」を実践してみたいと思い立ってお遍路に出たとき、上記の「四句の祈り」と出会って、あの坐禅の清々しさを言い表している言葉のように感じられ、一目で気に入りました。
小さな「自分」という価値基準から離れれば、心を縛るものもなく、広く晴れやかに歩んでいくことができる。
修行僧時代の心持を何時であれ教えなおしてくれる言葉として、これが書かれた菅笠(すけがさ)は、今も私の机の横にかけられています。

                 祥雲寺副住職 安藤淳之







一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?


日時:6月22日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
     6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
     7時20分~8時    (二回目の坐禅)

場所:祥雲寺本堂一階

用意:身一つで大丈夫です。
    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

2015年6月17日水曜日

平成27年6月観音朝詣りのお知らせ



雨上がりの紫陽花


 弁天さまは、七福神ただ一人の女神さまです。
 
 祥雲寺では毎年七月七日に弁天さまのお祭りがあります。
戦前まで現在の昭和小学校の所にまつられていました。
正式の御名を宇賀耶弁財尊天といい、古くから信仰されていた由緒ある神様です。
寺の前を流れていた西アサリ川に尊像が投げ捨てられるという事件があり、枝垂れ桜の下にあった天神様の小さなほこらの中に移されました。
朱塗りの弁天堂が建ち現在の場所に安座したのは昭和三十年のことです。

 弁天さまは、もともとインドのサラスヴァティー川の女神です。
大変な美人で、創造の神ブラフマー(梵天)が恋して妻としました。
美しい姿をいつでも見られるようにと梵天さまはみずからの顔を四つにしました。

 サラスヴァティー川は、古代インドで聖なる川と讃えられました。
しかし干上がって砂漠に消えたといわれます。
近年、ランドサット衛星の映像分析で、たくさんの遺跡が地下を流れる川に沿ってあることが判明しました。
この地下水脈がサラスヴァティー川だと推定されます。
この川は世界四大文明の一つ、インダス文明の母なる川だったのです。

 お釈迦様のために祇園精舎を寄進したスダッタ長者は、この女神の信者でした。
そのこともあって、仏教徒の守護神と信仰されるようになり、金光明王経には鎮護国家の神としてその功徳が記されています。

 弁天さまは、水の神、音楽・文学・芸術の神、魔を払って富をもたらす神、女性神として家庭の安全をもたらす女神さまです。

 七月七日は七夕の日。
毎年たくさんの善男善女におまいりをいただき、所願成就の祈祷の法要が修行されています。
法要の後には夏を乗り切る身体健全の効能あらたかな「すりばち灸」もあります。

 平成27年6月15日
                          祥雲寺住職 安藤明之

十八日の朝詣りは午前6時から行います。


今年もたくさんの梅が実っています。
朝詣りのあと、梅落としをいたしますので、一緒に採ってお持ち帰りください。