2014年8月30日土曜日

秩父観音霊場午年総開帳お参りの案内。


平成20年お遍路巡礼風景

平成26年は埼玉秩父札所の午年総開帳が行われます。

通常は厨子の扉を閉めたまま拝観していただく本尊を巡礼者の方に親しく結縁の機会を持っていただくため12年に一度扉を開きます。
今回9月13日、10月11日、11月8日の三回の土曜日に分けて
日帰りの参拝を行います。



45番岩屋寺参道での写真
参加を募りましたところバス一台の人数で収まらなくなったので
二台に分けてお参りすることとなりました。
その為まだ参加希望の方を受け付けることができます。
興味を持たれた方は祥雲寺にご一報ください。


この夏の行事(下)


8月13日から16日はお盆の期間です。
写真は本堂前に準備された迎え火の祭壇です。


お盆の正式な名称は盂蘭盆会と言います。8月の13日から16日(地方によって違う)に御先祖をお迎えし、供養を行うこの期間を総称して「お盆」と読んでいます。

初日の13日は迎え盆、16日を送り盆と呼び、この期間は彼岸より戻られた御先祖さまを迎える時期として日本全国で大切にされ、営まれてきました。




8月29日は祥雲寺の年間最大行事、施食会の日となります。
全檀家を対象とした先祖供養を行う日として、5月のころからこの日の準備をしてきました。

近年は大変な暑さの中で行うことが多かったのですが
今年は扇風機を入れるかどうか迷う程度の気温でこの日を迎えることができました。


午後に施食法要が始まります。

法要終わって参列された檀家さんに塔婆を配り終えると、
今年の夏が終わった、としみじみ感じます。

この夏の行事(上)

暑かった夏も一段落ついたようで
今日は日差しが強くても涼しい風が夏の名残をさましてくれています。

この夏に祥雲寺で行った行事の写真を載せます。


毎年7月7日は境内にあるべんてん様のお祭りの日です。
例年は庫裡横の弁天堂で行うのですが
今年は雨天のため本堂に移動して行いました。

須弥壇上に祀られたべんてん様です。
普段はお堂の中に鎮座しているので
毎年来られている方も
「この日初めて御顔を見ることができた」と仰られていました。

べんてん様のお祭りが終わった後はすり鉢を頭にのせての
すり鉢灸の時間となります。
べんてん様に供えたお香の残り火で灸を据え、
この夏の無病息災を願って汗を流します。




8月の7日は初盆供養の日です。

今年新盆を迎える方に
午前中でどのようにしてお迎えの準備をするか説明をし、
午後に新盆の方の施食法要を行いました。















2014年8月12日火曜日

平成26年8月観音朝詣り

観音札所道中






















 天皇皇后両陛下は、本年6月、即位以来5度目となる沖縄行幸啓をされました。6月が沖縄戦終結の月です

 終戦60年目の平成17年にサイパン島に行かれ、70年目の来年には、パラオ諸島など南太平洋の島々を訪ねたいとのご希望だそうです。いずれの行幸も、戦死した兵士達、犠牲になった民間人、さらには現地の人たちもふくめた多くの御霊への追悼のためでありましょう。

 成算なき戦場に追いやられ、米軍の銃火にさらされ、玉砕し、自決し、果ては餓死に至った人々、原爆や無差別爆撃の犠牲になった人々。これら何百万の人々の無念さを思い遣る時、だれしも反戦の思いを強くします。昭和の戦争は、日本国民共有の悲しみであり悼(いた)みです。

 両陛下の行幸啓には、追悼だけでなく、皇室として責任を取る御心が働いていると、私は感じます。

 戦争に到るまでには、さまざまな政治的、外交的、歴史的要因があり、あるいは不可避であったかもしれない。一部の人たちに責任のすべてを押し付けることはできません。
しかし、あの無謀な戦争を引き起こし遂行した責任を、歴史的必然から来たこととし、指導者が責任逃れをして良いはずもありません。戦争は天皇制のもとで起きました。

 私の父が、天皇の馬鹿野郎と言ったのを、何度か聞いたことがあります。シベリヤ抑留まで含めると足かけ10年、兵卒として下士官として軍隊にいた者の偽らざる気持ちです。
 
 昭和天皇は、いのちを賭して終戦を決意し、8月15日の詔勅を読まれました。日本史上最も英邁な君主であった昭和天皇でも取り切れなかったその責任を、今上陛下は受け継いで取られていると思うものです。

 震災の避難所で正座をされて被災者に言葉をかけられている両陛下には、国民とともにおわすという御心がにじみ出ています。このような方の追悼はまことにありがたいと思います。

 平成26年8月15日
                        祥雲寺住職 安藤明之

十八日の観音様の朝詣りは
午前六時から行います。