2011年4月18日月曜日

東日本大震災犠牲者追悼法要の御案内

 ようやく陽春の季節となりました。
 先頃の大地震では、お怪我をされたりしませんでしたでしょうか。幸いに宇都宮は全体的には被害の程度が軽くすんだようで、祥雲寺も数基の墓石の倒壊がありましたが建物等に被害はありませんでした。
 それにしても、当日テレビの映像で見た津波の恐ろしさ、その後毎日伝えられる被災地の惨状には胸つぶれる思いが致します。そしておそらくは三万人を超すであろう人々の死があります。震災からちょうどひと月の今月11日、夕刻に豪雨と強い余震がありました。豪雨はヒョウを伴って折から満開のしだれ桜の花を打ち、花びらをもぎ取りました。非業に倒れた人々の慟哭のように思えました。仏教徒として追悼のために誠を尽くさねばならないと思いました。
来たる4月28日は震災から四十九日に当たりますので、この日を期して追悼の供養法会を修行いたします。また、法会に当たって、写経の功徳を以て諸精霊に回向するべく、皆様に写経をお願いいたします。返送用の封筒を同封しましたが、参列の方は当日お持ちください。
 被災地の状況はまだまだ先が見えず、被災者はもとより、直後より救援活動をしている自衛隊をはじめとする多くの人々の苦労も並大抵ではありますまい。また、たくさんのボランティアも活動しています。当寺の副住職淳之もシャンティ国際ボランティア会に加わって気仙沼方面で救援活動をしています。現地に行くことのできる人は全体から見ればわずかですが、国民大多数の支援の思いがあるからこそ、救援活動が支えられています。
 根本にあるのは、被災者への心からの同情と、斃れた人々への悼みです。たくさんの方々の御参列をお願いいたします。
平成23年4月13日
祥雲寺住職 安藤明之


日時と場所  4月28日(木) 午前11時より本堂にて
 
写経について
  舎利礼文の写経をお願いします。このお経は仏舎利礼拝の功徳により仏道に志し、一切の生きとし生けるものを救わんとする誓願文です。
  道元禅師火葬に際し、弟子たちが読誦し供養しました。
写経は毛筆でなくても結構です。毛筆・サインペンなど太字向きと
鉛筆・ボールペンなど細字向きの二種の下敷きを同封しました。
  同封の半紙に、丁寧に写し取ってください。
なお、当日9時半から毛筆での写経ができるよう、本堂1階を準備します。 

平成23年4月朝参りのお知らせ

 昭和40年代、年末の上野発の夜行列車は帰省の出稼ぎの人達で一杯でした。通路や座席の下に新聞紙を敷いて寝ている人も多かった。家に残る親や妻や子に少しでも楽な暮らしをさせたいと、後に三K(きつい・きたない・きけん)と呼ばれる肉体労働に従事し、正月を家族で祝うために帰っていく人達です。高度成長はその前の時代の「金の卵」やこの出稼ぎの人達の勤勉さと低賃金によって成し遂げられた面があります。都庁舎を頂点とした高層ビルが林立し、ゆたかで華やかな生活を楽しむ東京の人達はこのことをきちんと知っておくべきです。
 時は移り、東北地方の過疎化は進みました。若者の多くは都会に出て行きました。この度の地震は残された人たちを直撃しました。
 地震をレポートした外国のメディアは揃って、被災地の秩序が保たれていることを称賛していました。悲惨きわまりない状況にあって、助け合いながらじっと耐えている姿は崇高でさえあります。日本人の真の強さを示してくれたと言ってもよいでしょう。三世代以上同居の家庭が意識上の標準とされ、家族の絆も地域の絆もしっかりしている東北地方だからこそともいえます。
 「非業(ひごう)」とは、「業」によらない、したがって本人に何の責任もないままに人にふりかかる出来事をいう仏教語です。
 平穏に、一日一日を地道(じみち)に暮らしていた人々を襲った非業の死にたいし、私には言う言葉がありません。
 このお便りを書き始めた時(4月11日)に、大きな余震がありました。その一時間前には、時ならぬ大豪雨があり満開だったしだれ桜はあっという間に雹に打たれて花がもぎ取られてしまいました。大震災からちょうどひと月、幾万の人々の慟哭とも聞こえ、御霊の震えとも感じました。
 大慈大悲のみ仏の心に願って、私たちの追悼の心を御霊に届けなければならない。そのように思い、震災四十九日目の今月28日に追悼法会を修行することとしました。
 平成23年4月15日
        宇都宮市東戸祭1-1-16      祥雲寺住職 安藤明之
       十八日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。