2011年4月18日月曜日

平成23年4月朝参りのお知らせ

 昭和40年代、年末の上野発の夜行列車は帰省の出稼ぎの人達で一杯でした。通路や座席の下に新聞紙を敷いて寝ている人も多かった。家に残る親や妻や子に少しでも楽な暮らしをさせたいと、後に三K(きつい・きたない・きけん)と呼ばれる肉体労働に従事し、正月を家族で祝うために帰っていく人達です。高度成長はその前の時代の「金の卵」やこの出稼ぎの人達の勤勉さと低賃金によって成し遂げられた面があります。都庁舎を頂点とした高層ビルが林立し、ゆたかで華やかな生活を楽しむ東京の人達はこのことをきちんと知っておくべきです。
 時は移り、東北地方の過疎化は進みました。若者の多くは都会に出て行きました。この度の地震は残された人たちを直撃しました。
 地震をレポートした外国のメディアは揃って、被災地の秩序が保たれていることを称賛していました。悲惨きわまりない状況にあって、助け合いながらじっと耐えている姿は崇高でさえあります。日本人の真の強さを示してくれたと言ってもよいでしょう。三世代以上同居の家庭が意識上の標準とされ、家族の絆も地域の絆もしっかりしている東北地方だからこそともいえます。
 「非業(ひごう)」とは、「業」によらない、したがって本人に何の責任もないままに人にふりかかる出来事をいう仏教語です。
 平穏に、一日一日を地道(じみち)に暮らしていた人々を襲った非業の死にたいし、私には言う言葉がありません。
 このお便りを書き始めた時(4月11日)に、大きな余震がありました。その一時間前には、時ならぬ大豪雨があり満開だったしだれ桜はあっという間に雹に打たれて花がもぎ取られてしまいました。大震災からちょうどひと月、幾万の人々の慟哭とも聞こえ、御霊の震えとも感じました。
 大慈大悲のみ仏の心に願って、私たちの追悼の心を御霊に届けなければならない。そのように思い、震災四十九日目の今月28日に追悼法会を修行することとしました。
 平成23年4月15日
        宇都宮市東戸祭1-1-16      祥雲寺住職 安藤明之
       十八日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。

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