2011年6月17日金曜日

平成23年6月朝参りお知らせ


5月末、本堂前広場

 明治元年3月から発布された一連の神仏分離令によって、大規模な廃仏毀釈運動が起こりました。地域差がありますが、全国ではほぼ半分の寺が廃寺となりました。
 奈良の興福寺では、僧侶全員が春日大社の神職となり、堂塔は荒れるに委せる状態になりました。中には当時奈良県で法隆寺と並ぶ大寺院であった永久寺のように、還俗した寺僧たち自らが破壊してしまった寺もありました。
 神社から仏像、仏具を排除せよとの太政官令のもと、神社のみならず、廃寺となった全国の寺々から仏像、仏画、法器、荘厳具が流出し、美術品として海外に渡ったものも数多くあります。
 明治15年以降のフェノロサと岡倉天心による文化財保護への尽力がなかったら、興福寺の阿修羅像も外国の美術館に展示されていたかもしれません。
 廃仏毀釈は、わが国の歴史が培ってきた文化を否定し破壊してしまったという点で、中国の文化大革命にも匹敵する愚行、蛮行です。政治が運動の火を付け、民衆が応じた点も似ています。背景には、徳川幕府の仏教保護政策にあぐらをかき、幕府行政の出先機関と化した寺院や、修行と教化を怠った僧侶への不信も確かにあったと思います。
 しかし本質は、天皇を中心とした強力な中央集権国家を造ろうとした明治政府の思想統制、宗教統制でした。天皇を現人神(あらひとがみ)とする国家神道を打ち立てるためには、神道の基盤である神社に人間の存在を超えた「ほとけさま」がいては、はなはだ都合が悪かったのです。
 私は、神仏習合は仏教の日本的な展開だと思っています。非常に豊かな文化を生み出してきたし、それによって仏教の本質がゆがめられたということもありません。もとより政治は大きな力を持っていますが、それが人間の精神の営みまでも支配しようとし、貴重な文化と伝統が失われてしまったことを残念に思うものです。
                                     
                                平成23年6月15日 祥雲寺住職安藤明之
十八日の観音様の朝詣りは
午前6時から行います
☆梅☆ 朝詣りの後、梅落としをいたしますので、一緒に採ってお持ち帰りください

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