先月、チベットの仏像から受けた感銘について記しました。仏像が初めて造られたのは、紀元2世紀頃と言われます。以来、仏像は仏教徒の信仰の中心となりました。
実は「ほとけ」という言葉はもともと仏像を意味するのだそうです。インドの言葉で、目覚めた人、悟った人を意味する「ブッダ」を、中国では「浮屠」と音写しました。その文字を古代日本人は「ふぉぇとぇ」と読み、それに「目に見える形」を意味する「け」という音を付けて、ブッダの姿、すなわち仏像を意味する言葉ができました。これは先年亡くなった国語学者の大野普先生の説です。
大野先生はさらに、「カミ」が、「カミナリ」に表わされるような自然の絶大な力をもとにした、只ただ人間を畏怖させる存在だったのに対し、「ホトケ」は人間としてのさまざまな苦しみを救済してくれる存在として、古代日本人の前に現れたと述べています。
京都、太秦の広隆寺の弥勒菩薩像は国宝指定第一号の仏像です。高校の修学旅行で初めて御像を目の当たりにした時のことを思い出します。静かにほほえんだお顔を拝み、ほほにそっと添えられた指先を見ていると魂がすくい上げられていく思いがしました。
この弥勒菩薩は7世紀前半に朝鮮半島から招来されたか、あるいは日本で造立されたとされます。いずれにしても百済から日本に公伝されて間もない頃です。古代の人も、私たちと同じ思いで仏像を拝んだに違いありません。
時を貫いているものは、人の世の苦しみ悲しみを憐れみたまいやさしく包んでくださる慈悲のお姿です。
平成21年12月14日 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の観音様の朝参りは
午前六時半から行います