2012年3月18日日曜日

平成24年3月朝参りお知らせ




参道梅園の梅



観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄


朝念観世音 暮念観世音 念念従心起 念念不離心(延命十句観音経)


わずか42文字、延命十句観音経は一番短いお経です。
正式なお経ではありませんが、長大な観世音菩薩普門品(観音経)のエッセンスを、お経の形にまとめたものです。
意訳しますと

 観音様。心から信頼申し上げます。私たちは仏様と同じ世界に生きております。
 仏様との絆で結ばれている私たちは、いつも清らかでとらわれのない日暮らしができま    す。朝にも、夕べにも観音様に祈ります。この祈りは私たちに備わる清浄心から発せられるものであり、その心を離れることはありません。

観音様は、大悲闡堤(せんだい)といって、この世の衆生を救い続けるため、決して彼岸へと去ってしまわない菩薩様です。成仏しない仏様と言ってよい。それで「南無仏」です。
この世は無常であるのに常と捉え、苦であるのに楽と捉え、定められないものを実体と捉え、不浄なるものを清浄と捉えることを、凡夫の常楽我浄というのですが、とらわれを離れた境地に立った時、否定されていたものが不滅なるものとして生き生きと立ち現れてくる、これが涅槃経などに説かれる常楽我浄です。
経の末尾二句の「心」とは、人間が本来備えている慈愛に満ちた清浄な心、すなわち仏心のことです。観音様への願いは欲得からのものではなく仏心から発せられるものであり、そのように願い続けることを誓う言葉です。
衆生に対する観音様の慈悲済度の御心は無量であり、海にたとえられます。このようなことから3月11日の大震災慰霊法要では、観音様への祈りの功徳を犠牲者の御霊に捧げるべくこの経の写経をしていただき霊前に捧げました。

 平成24年3月15日
                                   祥雲寺住職 安藤明之

十八日の観音様の朝詣りは
午前6時から行います。

2011年11月10日木曜日

平成23年星ヶ丘中学校生徒坐禅会(11月10日)

11月10日、今日は星ヶ丘中学校2年生の坐禅会を行いました。
先日星ヶ丘中学校2年生7クラスの坐禅会を依頼されましたが
年間行事等とぶつかることから半分を市内禅宗寺院と分担して行うこととなりました。



1時半、星中生徒到着。



最初に入り口であいさつ。

概ね前回の警察署坐禅会と同じ流れで行うこととしました。



2階本堂に上がり合掌など作法の説明。



そして脚の組み方、姿勢呼吸等を説明して実地体験。






最後はやはり僧堂(坐禅修行を行う建物)の形に並び

15分程度ですがきちっと坐禅に打ち込んでもらいました。



思いのほか私語も少なく、中学生の坐禅会としては良い形になったと思います。

あと2クラス分坐禅会を行うので、よりよい形で出来るよう努めたいです。

11月6日 中央警察署坐禅会

祥雲寺のある宇都宮市東戸祭には宇都宮中心部を管轄する宇都宮中央警察署が隣接しています。
先日警察署の方から職員研修の一環として坐禅等の修行体験をご依頼頂き、6日午後坐禅会を行いました。


約30名の方が参加されていました。

最初に入り口で合掌等の坐禅修行の際の作法説明を行いました。



2回本堂に上がって具体的な説明を行い実地体験。

流石に皆さん鍛えているだけあって

きちんとした坐禅の姿になっています。


説明了って30分ほどの坐禅中。


坐禅了って控室でお茶を飲みつつ座談会。


今度は場所を移して写経を行いました。

書いているのは延命十句観音経という短いお経です。


最後に法要を行い、写経したお経を読んで東日本大震災でお亡くなりになられた方達へのお祈りを行い、終了となりました。

当初は2時間少しで終わるかと思いましたが、

丁寧にやろうとすればするほど時間がかかり、

結局時間いっぱい3時間かかってしまいました。










平成23年9月29日~30日大本山總持寺参拝

大分掲載が遅れてしまいましたが、9月29日~30日の大本山總持寺参拝旅行の記事をあげます。

曹洞宗には2つの本山があります。
1つは福井にある大本山永平寺、1つは横浜鶴見にある大本山總持寺です。
祥雲寺では毎年参拝団を組み、この2つの本山を交互にお参りしてきました。
今年は同じ教区にある上三川見性寺さんと一緒に参拝団を組んでお参りしてきました。


大本山總持寺本堂「大祖堂」前での記念写真です。
今年は總持寺御移東100周年記念の年に当たり、地震の影響もありましたが記念の法会を行っていました。

總持寺は元々は能登半島のお寺でした。
それが明治の頃に大火に遭い、広大な伽藍が全焼してしまいました。その時の禅師様が

「能登の山奥に再建するよりは、文明開化により諸外国に開かれた横浜に居を移し、曹洞宗を世に広めた開山様に倣って再び曹洞宗の教えを世に示そうではないか」

とおっしゃられ、丁度100年前に横浜に移ってきました。今年は百周年を記念する年として記念事業を諸々行っており、当参拝団もそれに参加させてもらいました。


本堂での法要で参拝団一同御焼香をしています。


大祖堂の中の写真です。
千畳敷きの巨大な本堂ですが、当初の構想では三千畳敷きの更に巨大なものであったそうです。
御移東を提言された時の禅師様の発案というのですから、実に気宇壮大な方であったのでしょう。


本堂の鐘つき堂に上がらせてもらいました。
この大きな鐘は、実は祥雲寺で寄贈したものであります。
祥雲寺住職の祖父は元々名古屋の人でした。
總持寺が御移東するにあたって、関東での常駐をする為に宇都宮に居を移し、その功績を評価していただいたことから本堂の鐘を寄贈するに至ったという経緯がありました。
参拝団の内何人かは身内の名前が寄贈者として鐘に刻まれており、懐かしい名前を見つけることができたようです。






總持寺を出た後は尊徳記念館、二宮尊徳生家に立ち寄りました。


栃木にも縁のある方だけに、じっくりと見て回りました。





今回の参拝宿泊は大雄山最乗寺です。


前回の總持寺参拝でも宿泊しましたが、ここは總持寺が御移東するにあたって
建物の材木を拠出したりと尽力したお寺でもあるので、今回の参拝に御縁のあるお寺とも言えるのでしょう。


夕食を頂いてからは軽く打ち上げ。
上三川の方達と入り混じって話に花を咲かせました。


翌朝の朝課(朝の法要)。
大雄山は天狗が建てた、という逸話が残っているほどに立派な伽藍が山の中腹を占めています。
朝課を本堂で行った後、階段を上って上の祈祷所に行き、迫力のある御祈祷を受けて朝のお勤めが終わりました。


大雄山駐車場の土産物売り場での一枚。




大雄山の後は高尾山にお参りしてきました。

ロープウェーが完備されているのでそれほどの労なく薬王院にお参り出来ました。






お昼は八王子にあるうかい竹亭で。

前回の總持寺参拝は東京タワー下の同じうかいで頂きましたが、

こちらも同じく瀟洒な佇まいと美味しいお料理を堪能させていただきました。





最後は多摩にある昭和天皇御陵にお参りし、夜7時ごろに宇都宮に帰着しました。

2011年10月17日月曜日

平成23年10月朝参りのお知らせ


秋晴れの空と祥雲寺本堂



曹洞宗はお釈迦様をご本尊とし、永平寺、総持寺を同格の大本山とする宗旨です。そして永平寺開山道元禅師、総持寺開山瑩山(けいざん)禅師を両祖とします。一般的に使われる宗祖という言葉を使わないのは、宗祖というとどうしてもお一人を指すと考えられてしまうからです。
 瑩山禅師は道元禅師より懐弉禅師、義介禅師と次第して、日本曹洞宗では4代目に当たる方です。その方がどうして道元禅師と並び称せられるのでしょうか。それは宗派としての曹洞宗を確立した方だからです。
 曹洞宗はお釈迦様の正しい教えを祖師から祖師へと代々伝えてきたことを信仰の核とします。お釈迦様から直接に法を継承した迦葉尊者を第1祖として、道元禅師は第51祖に当たります。代々の祖師は仏教で一番大事なこと、一大事を明らめる(それを悟りとも身心脱落ともいいます)ことによって法を伝えてきました。
 瑩山禅師も義介禅師の印可証明を受けて54祖となりました。そのことでいえば歴代の祖師はすべて同格です。
 道元禅師に帰依した僧侶の中には平安末期に日本独自に興った達磨宗という僧団に属していた人たちがいました。懐弉禅師や義介禅師がそうです。さらには義介禅師の弟子として瑩山禅師もその流れを汲んでいるともいえます。
 瑩山禅師は、釈尊から懐禅師に至る歴代祖師のそれぞれの悟りの契機を述べ、道元禅師の教えこそが曹洞宗の命脈であることを弟子たちに示しました。これによって曹洞宗という教団が生まれ、その弟子である峨山禅師に始まる曹洞宗の大発展がありました。
 具体的には、たくさんのお寺が建てられていったのです。そのお寺の多くは、地方の小領主や農民によって建てられました。寺を守り伝えたのもその人たちです。先祖の御霊を守り民衆の心の拠り所となる寺院が建てられていく、その基(もとい)が瑩山禅師によって確立されたのです。
    平成23年10月15日  祥雲寺住職  安藤明之