2010年4月14日水曜日

平成22年4月朝参りお知らせ


4月8日釈尊迎誕会(花祭り)の朝

 4月10日の下野新聞のコラム欄に、栃木県令三島通庸と桜のことが載っていました。
 薩摩出身、内務官僚の先駆けである三島通庸は、自由民権運動の弾圧者として歴史上の悪役というべき存在ですが、那須野ヶ原の開拓をはじめとして栃木県の産業振興、近代化に大きな足跡を残しました。
 コラム執筆者の論説委員の方から教えていただいたのですが、彼は各地で桜を植えたり、花見の宴を催したりして、地元住民との親交に努めたそうです。
 おそらく明治18年のこと、祥雲寺のしだれ桜に桟敷を張り巡らして、宇都宮中の芸者衆を揚げて大宴会を行いました。昭和41年に96歳で亡くなった中村ツネさんから聞いたことです。単なる宴会ではなく、秀吉の醍醐の花見に倣ったようだ県内の名士を集めてのイベントだったのでしょう。素封家の総領娘であったツネさんも接待役として駆り出されたのだそうです。
 何十人もの人達が上がれる桟敷を張ったというのは、今のしだれ桜からは想像がつかないかも知れませんが、昔の桜を知っている人達には納得がいくはずです。昭和23年の火事によって北側の枝が焼け、以後次第に衰弱していったのですが、昭和30年代まではなお偉容を誇っていました。山門の方から階段を上がってくると、おおいかぶさってくる巨大な樹影に圧倒されたのもです。
 枯れかかり、昭和54年から現在の形での再生治療が行われていますが、道なお遠しという状況です。全体のボリュームは、全盛期の十分の一ぐらいでしょう。それでも今年も花を付けてくれました。今年13日は、天気もおだやかで、花びらがはらはらとしきりに散っています。古今和歌集、紀友則の名歌を思い出します。
 ひさかたの 光のどけき 春のひに
               静こころなく 花のちるらむ
 
 平成22年4月15日                        祥雲寺住職 安藤明之

十八日の観音様の朝詣りは
午前6時から行います。

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