2015年8月13日木曜日

27年8月観音朝詣りのお知らせ

8月13日、迎え火の祭壇

6月に沖縄に旅行しました。

研修旅行でしたので、二日目は沖縄戦を伝えていこうとするボランティア会のガイドの方と、南部の戦場跡を巡りました。
 
 全島が戦場となり、住民を巻き込んだ戦闘で日本国内で最大の惨禍に見舞われたことはもちろん知っています。
同情も寄せてきました。

 しかし、現地に行って、ひめゆりの塔の資料館で戦場に散った少女たちの写真を目にし、あるいは軍人と民間人が一緒に隠れた鍾乳洞に入って当時の悲惨な状況について説明を受けると、戦争のむごさが身に伝わってきます。
米軍に日本人が追いつめられた沖縄島南端の海岸はまことに風光明媚ですが、その美しさがかえって悲しさをつのらせます。

 知識ではなく、実感として沖縄戦にふれることが多少ともできました。
沖縄県民の基地反対の心情に対しても理解を深めることができました。

 大変有意義な旅行だったのですが、心に掛かることがありました。

 それは、ガイドさんの熱意が空回りしていると感じたことです。
戦争のむごさ、沖縄の惨状についてこれでもか、これでもかと説明します。
炎天下で、あるいは湿気に満ちた真っ暗な洞窟の中で、これが真実である、これを知らなければならないとくり返されると、かえって辟易してしまうのです。

 戦後七十年、戦争の悲惨さを伝えることがむずかしくなっているといわれます。
実体験として伝える人が少なくなったのはやむを得ません。
しかし、聞こうとする人が少なくなるのは問題です。

 学校などで戦争体験を聞く催しが敬遠されている、語りべのお年寄りが修学旅行生から侮辱された、などの報道がされています。

 真実であっても、それを伝えることは難しいのです。
聞いてくれないことを嘆くのではなく、聞き手の心情を思いやり、その感性を信じて語りかけることが大切であると思いました。

 お釈迦様の教えを無上なるものと信じ、世の人々に伝えることを使命としている私にとっても、戒めとしなければならないと感じました。

                           平成27年8月13日 祥雲寺住職 安藤明之

十八日の朝詣りは午前6時から行います。
                                

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