2011年2月15日火曜日
平成23年2月朝参りお知らせ
今朝方の梅園(祥雲寺参道)
ひとたびは涅槃の雲にいりぬとも
月はまどかに世を照らすなり
(梅花流「涅槃御詠歌」)
2月15日は、お釈迦様が涅槃に入られた日、涅槃会です。
仏教徒にとって釈尊の死は単なる死ではありません。有為転変の世界から無為寂静の世界に入り、目には見えねども永遠の真理の姿となってこの世界を照らすのです。御詠歌は、それを澄みきった月にたとえています。
この世界では、覚られた人、釈尊といえども諸行無常の理(ことわり)を免れません。肉体は老い、朽ち果てるのです。
アーナンダよ、私はもう老い朽ち、齢を重ねて老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達して、わが齢は80となった。アーナンダよ、たとえば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、私の車体も革紐の助けによってもっているのだ。
(大パリニッバーナ経 中村元訳)
体調を崩しながらも北へと最後の旅を続けていた釈尊でしたが、やがて限界に達し、北インドのクシナガラという町の郊外の林の中に身を横たえられます。大きな二本の沙羅の木の間でした。
やがて、急を聞いて集まってきた弟子たちに対し最後の説法をなされます。遺教として現在に伝わるものです。
釈尊は、私が今まで説いてきた教えを守り、志をもって生きてゆきなさいと諭されています。
我がもろもろの弟子、展転してこれを行ぜば、すなわち如来の法身常に在ってしかも滅せざるなり
(遺教経)
有為転変の世界から、寂静無為の世界に入られた釈尊ですが、そのいのちは、教えを信じて生きていく人、一人ひとりの身体に、心の中に流れて不滅であると仰せられたのです。
平成23年2月15日
祥雲寺住職 安藤明之
十八日の観音様の朝詣りは
午前6時半から行います。
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