星ヶ丘中学サッカー部座禅会
人生、楽しきは相知の心に在り (王安石 「明妃曲」)
「相知の心」とは心を通い合わせること。夫婦であれ親子であれ師弟朋友であれそのような人間関係を持つことのできた人はしあわせです。
王安石は11世紀中国宋代の政治家。詩人、文章家としても名高い人です。彼が提唱し推進した新法と呼ばれる政治改革は、窮乏した政府財政を立て直し、軍隊を精鋭化し、人民の生活を向上させるためのものでした。彼は、人民の窮乏を救うことが国家の繁栄をもたらすと考えました。農民を収奪する大地主や経済を牛耳る大商人の特権を削ぐ政策を実行しました。国を動かす高級官僚の多くは富裕な地主層の出身であり、また商人とも結びついていましたから激しい反対にあいました。しかし、彼は断固として改革を実行しました。そしてその改革は相当な成果を上げたのです。
彼の改革に反対し、左遷された人の中には、司馬光や蘇東坡といった中国の歴史の中でも第一級の文化人がたくさんいました。そのため、歴史上画期的な改革を成し遂げたにもかかわらず、後世の中国人の彼に対する評価はおおむね否定的です。文章、詩、政治実績は素晴らしいが人間性が良くないと評した人もいました。
冒頭にあげた「明妃曲」も実は非難された詩です。明妃とは漢の時代匈奴の王と政略結婚をさせられた絶世の美女、王昭君のことです。故郷を思いながら野蛮の地で一生を終えた悲劇のヒロインとされました。
実際の王昭君は、匈奴の王に愛され幸せだったようでそのことは王安石も知ることだったのでしょう。明妃曲では、冒頭に掲げた一節の前に、「漢の王室の仕打ちは冷たく、匈奴王の愛情は深かった」という言葉があります。これが中華思想に凝り固まった人から愛国心が足りないと非難されたのです。
王安石は、熱心な仏教徒でその平等思想をよく理解していました。そのため国家や民族、階級や貧富、男女の別なく人間を平等に見ることができた人でした。妻や娘たちとやりとりした詩が残されていますが、ほのぼのとした暖かみがあり、人間性の素晴らしさが感じられます。
平成22年10月15日
祥雲寺住職 安藤明之
十八日の観音様の朝詣りは
午前6時から行います。