しだれ桜下の紫陽花。
卒塔婆は梵語ストゥーパの音訳で、もともと仏舎利塔を意味します。お釈迦様は涅槃に入られた後、遺体は火葬され、遺骨は八つに分骨されました。ゆかりのある人々が持ち帰りそれぞれに塔を建てて祀りました。百数十年のち、古代インドを初めて統一したアショーカ王は、一つを除いた七つの塔の遺骨をすべて集め、それをさらに細分して八万四千の塔をインド全土に建てたと伝えられます。卒塔婆は仏教徒の信仰の中心になりました。紀元前後の頃のインドでは仏教徒のことを「塔を祀る者たち」と呼びました。
今日、日本で卒塔婆というと、木の板の上部を五輪の形にきざんだものを指します。これは石造りの五輪の塔に由来します。五輪塔の起源は、あるいはインドや中国にあるのかも知れませんが、残されているもので見る限り日本独自のものです。平安時代の末から、死者に対する供養塔として盛んに建立されました。とくに高野聖といわれる人たちによって広められました。高野聖は死者の極楽往生のため遺骨を高野山に分骨して祀ることを勧めて回った僧侶たちです。高野山にお参りすると、奥の院の長い参道に何十万基ともつかない五輪塔があって彼らの活動がいかに活発であったかを示しています。
祥雲寺でも、法事の際には必ず卒塔婆を建立して供養の証(あかし)としています。これについて私は次のように説明しています。
「今日、お施主を中心に大勢の方が集まり、尊いお経が上げられるなかで、手を合わせ、御焼香して本尊様に個人の冥福を祈りました。その祈りの心は目に見えるものではありません。目に見えない心を仏教徒の信仰の象徴であった卒塔婆の形に書き付けて形に表わしてささげるのがこのお塔婆です」
祈りの心が込められたとき卒塔婆は単なる板きれとは違ってきます。卒塔婆をささげる習慣はこれからも大事にしてゆきたいものです。
平成22年7月15日
祥雲寺住職 安藤明之
十八日の観音様の朝詣りは
午前6時から行います。