2010年6月16日水曜日

平成22年6月朝参りお知らせ


永平寺 龍門

 唐時代の禅僧、香厳(きょうげん)禅師は潙山霊祐禅師のもとで修行していました。
 ある時、師が問います。
「おまえはたいへん博学聡明であるが、この世にまだ何も現れていない前のことを、経典や書物にある言葉ではなく、自分の言葉でわしに言うてみよ。」
 香厳禅師は数度にわたって考え抜いたが、どうしても言うことができませんでした。そしてこのことを悲しんで、持ってきた書物を焼き捨ててしまい、修行僧たちの食事の給仕をする役目に就いて年月を過ごしました。さらには、むかし慧忠禅師という大禅匠が住んでいた山に入って庵を結び、世間とのかかわりを捨てた生活をおくりました。
 ある日、道を掃き清めていると、箒(ほうき)の先にはじかれた小石が道ばたの竹にあたってカーンと鋭い音を立てました。そのとたん、なが年こころのなかで問い続けていたことが氷解し、悟られたのです。
 この話は有名な禅話です。以前、私はこの話を軽く考えていました。それは香厳禅師の真剣さを真剣に考えていなかったからです。
 弟子を問いつめる師霊祐の力量、それに必死で応えようとする香厳、ただものではない師弟関係です。霊祐の問いには模範解答があります。しかし、そんな知識で答えられることを問うているのではないのです。頭で答えきることができないことを頭で徹底して考え抜き、その結果が書物を焼き、僧堂での下積みの役を勤め、独り山に入っての修行だったのです。いずれも自分だったらどうかと思いめぐらすと、そのすさまじさが伝わってきます。
 香厳禅師はその後も、山中の奇岩や清泉を修行の相手として、一生目立たない静かな生活を送りました。
 道元禅師は修行こそ悟りの表われであるとされていますが、その修行はかくも徹底したものだったのです。
  
 平成22年6月15日              
                                       祥雲寺住職 安藤明之

 十八日の観音様の朝詣りは
 午前6時から行います。

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