茶道教室のお茶会 |
こちらは椅子席でのお点前 |
対馬に行きました。
朝鮮半島から直線で50キロほど、邪馬台国の時代から日本の入り口に当たる島です。
由緒ある神社が多く、平安時代初めの延喜式には29座もの社の名が挙げられていて「神々の島」と云われます。
お寺もたくさんあります。
室町時代以降に開かれた曹洞宗寺院だけで51カ寺もあります。
対馬や隣の壱岐からは、私の尊敬する高僧が何人も出ているので、それらの方々が息をした空気に触れたいという思いもありました。
南北厄80キロにわたる島は、全体に山が連なり、平地はほとんどありません。
入り江が入り組んだ複雑な海岸線と山の緑が相まって、澄み切った美しい景色を造っています。
行ってみて、改めて思い起こされたことがあります。
それはこの島が防人の島であったことです。
飛鳥、奈良時代に国境警備のために東国から防人が徴発されました。
役務は三年。
集合地の難波津より東の行き帰りの旅は自費でしなければならなかったため、行き倒れになる人も多かったと伝えられます。
九州から洋上130キロ余り、はるばる赴いたこの島での故郷への思いはいかばかりであったでしょう。
万葉集には防人の歌が100首ほど載せられています。
旅行(たびゆき)に 行くと知らずて 母父に
言(こと)申さずて 今ぞ悔しけ (下野の防人の歌)
親に告げることもできずに旅立ち、任地に来て、明日をも知れぬ今日の身を思い、悔やんでいる兵士の歌です。
唐衣(からころも) 裾(すそ)に取りつき 泣く子らを
置きてぞ来のや 母なしにして (信濃の防人の歌)
妻を亡くし、育てていた幼き子供たちを置いて兵役に就かざるを得なかった父親の歌。
悲痛この上ありません。
歴史の島は、いにしえ人の息づかいを今に伝えてくれます。
平成30年5月15日
祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
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