祥雲寺陶芸教室作品展示 |
今上陛下が退位され、再来年の五月一日に新陛下が誕生します。
即位の儀礼について、新しい時代に即したものにするという見出しが新聞に載っていました。
儀礼の中で最も大切なものは大嘗祭です。
皇居に大嘗宮が設けられて行われます。
祭礼の次第は一応公表されていますが、詳細は伏せられているので秘儀とされるものです。
そのため、戦前から現代まで多数の学者がその意味を考察しています。
いろいろな説があるのですが、ともかく皇位を継承するに当たっての宗教的な儀礼であることは否定できないことでしょう。
ここで問題が生まれます。
それは、国がいかなる宗教的活動もしてはならないという憲法の規定があるので、大嘗祭のために国費(税金)を使えるかという疑問です。
これについては、是とするにせよ、非とするにせよ、法律家を始め、識者からいろいろな意見が出ると思いますが、私は公費の出費はあってしかるべきであると思います。
それは、全体として日本国民は象徴としての天皇を受け容れているという現実から来るものです。
敗戦の時、天皇制が廃止される可能性はあったはずです。
そうならなかったことにより歴史と文化の総体としての日本国が存続できたと私は思います。
また、そこから生まれた安定した国情が戦後の復興と繁栄に大きく寄与したとも思います。
天皇の権威がどこから来ているのかを理屈でもって示すことはできません。
今日、天皇が神であると思っている人は殆どいないでしょう。
私は昭和天皇に対しても今上天皇に対しても敬愛の念を持っていますが、お二人とも同じ人間です。
しかしその人が国の象徴という特別な存在になるのは、何らかの儀式が必要であると思うのです。
そしてその儀式は伝統を踏まえたものであり、宗教性を帯びることは自然なことと思うのです。
人間は宗教性を持った生き物です。
今日、さまざまの人が声高く叫ぶ、宗教性を排除することが正しいとする言説に納得することは出来ません。
平成29年12月15日
祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時半から行います。
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