2017年2月26日日曜日

29年2月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内

クシナガラ涅槃堂(釈尊臨終の地)

涅槃仏前で読経


祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。 『平家物語』

冒頭の文はおそらく日本人なら誰しもが聞いたことのあるものでしょう。
平家物語の書き出しの部分です。
失われるものへの哀悼、もののあわれをうたった古今に渡る名文ですが、
この文章の後半は、お釈迦様が亡くなられるシーンを描写してもいるのです。

お釈迦様は2月の15日、満月の夜、二本の沙羅の木(沙羅双樹)の間に横になられて、大勢のお弟子方に見守られながら最後の時を迎えました。
臨終の床の中、自らの教えが正しくお弟子方に伝わっているか、法を説き確認をされてから涅槃に入られました。
この時に説かれた教えの中で最も有名なものが「自灯明、法灯明」です。

教え導くもの(釈尊)がいない、迷いの暗がりの中に生きねばならなくても、
精進して良く整えられ理性に目覚めた真実の自己を灯火(頼り)として、
お釈迦様がこれまで説いてこられた真理、法を灯火(頼り)として、
迷いの暗がりを照らし歩みなさい。

2月はお釈迦様が亡くなられた月です。
この月は1日から15日まで、お寺では釈尊の遺言の教えである『遺経』を毎晩読み、この教えを確認して精進しています。
頼ることの出来る自己で有る様に「良く整える」ことこそ、坐禅をはじめとする修行の大切な役割なのです。



余談ながら、昨年インドの祇園精舎にお参りした時に、祇園精舎の近くに日本から寄贈された建物があるのを見つけました。
見てみると中には大きな鐘がありました。
聞いてみると、「祇園精舎に鐘がないのはおかしい」と言った日本人が寄贈した、だそうです。
昔は想像の中だけでしかなかった祇園精舎の鐘も、今は実際に聞くことが出来るようになっていて、平家物語の作者もまさか自分の筆がこのような結果につながるとは思わなかったことでしょう。

                                        祥雲寺副住職 安藤淳之

一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

日時:2月27日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可) 既に終了
     6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
     7時20分~8時    (二回目の坐禅)

場所:祥雲寺本堂一階

用意:身一つで大丈夫です。
    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。




また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。


次々回の指月坐禅会は3月27日となります。







                                         


2017年2月15日水曜日

平成29年二月 観音朝詣りのお知らせ

涅槃会(釈尊の命日)に折り紙教室の人たちがお参りしています。


 電車の優先席を譲らない若者が多くなっているそうです。
これについてのテレビ番組を2つ見ました。

 一つは、老人が優先席に座っている若者に席を譲ってくれと何度も促したのに対して、若者は拒否して座り続け、老人をののしりました。
その様子が動画に撮られ、ネットで広がったのですが、それを見た人たちの反応は老人を批判するものが多かったそうです。
老人の態度が上から目線で感じが悪いというのです。

 この報道が契機になったのでしょう、若者達に電車で年寄り、妊婦、障碍者に席を譲るかを聞いた別の番組がありました。
問われた若者達も、譲らない、譲りたくないと答えた人たちが多かったのです。

 理由として、席を立って譲ったが断られたことがあるからというものが多くありました。
特に年寄りについては、自分はまだ若いと思っているかもしれずかえって失礼なことをしたと思ったという人もいました。
しかし全体的には、断られること自体が不愉快と感じた人が多いようです。

 疲れていて座っていたいという時もあるかもしれません。
事情はいろいろで一概に批判することは出来ませんが、わざわざ優先席と表示してある場所ですから、席を立つのが本来であるべきです。

 断られるのがいやという気持ちの中には、何事についても自分を否定されたくないという感情が含まれています。
人間として自然なことでありますが、それを抑えてでもするべきことがあり、それによって人間の社会が成り立っています。

 優先席は、人々の善意に期待して設けられているので、規則ではなく、まして法律ではなく、境石力はありません。
しかし、弱きものに思いやりを持ち、助けていこうとすることは、法律よりももっともっと大切なことです。
断られても、断られても譲っていっていただきたいのです。

 平成29年2月15日
                                        祥雲寺住職 安藤明之

寒さきわめてきびしい時ですので
十八日の朝詣りは午前9時から行います。