クシナガラ涅槃堂(釈尊臨終の地) |
涅槃仏前で読経 |
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。 『平家物語』
冒頭の文はおそらく日本人なら誰しもが聞いたことのあるものでしょう。
平家物語の書き出しの部分です。
失われるものへの哀悼、もののあわれをうたった古今に渡る名文ですが、
この文章の後半は、お釈迦様が亡くなられるシーンを描写してもいるのです。
お釈迦様は2月の15日、満月の夜、二本の沙羅の木(沙羅双樹)の間に横になられて、大勢のお弟子方に見守られながら最後の時を迎えました。
臨終の床の中、自らの教えが正しくお弟子方に伝わっているか、法を説き確認をされてから涅槃に入られました。
この時に説かれた教えの中で最も有名なものが「自灯明、法灯明」です。
教え導くもの(釈尊)がいない、迷いの暗がりの中に生きねばならなくても、
精進して良く整えられ理性に目覚めた真実の自己を灯火(頼り)として、
お釈迦様がこれまで説いてこられた真理、法を灯火(頼り)として、
迷いの暗がりを照らし歩みなさい。
2月はお釈迦様が亡くなられた月です。
この月は1日から15日まで、お寺では釈尊の遺言の教えである『遺経』を毎晩読み、この教えを確認して精進しています。
頼ることの出来る自己で有る様に「良く整える」ことこそ、坐禅をはじめとする修行の大切な役割なのです。
余談ながら、昨年インドの祇園精舎にお参りした時に、祇園精舎の近くに日本から寄贈された建物があるのを見つけました。
見てみると中には大きな鐘がありました。
聞いてみると、「祇園精舎に鐘がないのはおかしい」と言った日本人が寄贈した、だそうです。
昔は想像の中だけでしかなかった祇園精舎の鐘も、今は実際に聞くことが出来るようになっていて、平家物語の作者もまさか自分の筆がこのような結果につながるとは思わなかったことでしょう。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:2月27日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可) 既に終了
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時 (二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
次々回の指月坐禅会は3月27日となります。