祥雲寺から見る宇都宮タワーと境内のイチョウ |
この子らを世の光に
本年7月、神奈川県相模原市の障碍者施設で痛ましい事件が起こりました。
26歳の元職員の男によって入所者19人が殺害され、重傷者も20人に及びました。
大事件でしたのでご記憶のことと思います。
犯人が
「重度の障碍者は生きていても世の中の負担になるだけだから、世のために自分が殺してあげるのだ」
と動機を述べました。
人格が破綻した自己中心の愚か者の妄言です。
しかし、障碍者や世の中の弱き人たちへの迫害を正当づけるこのような考え方は、ナチスドイツなど、世界の歴史の中で繰り返されてきました。
また、被害者の名前を警察が公表しなかったことについて、被害者家族の一人が
「日本では、すべての命はその存在だけで価値があるという考えは特異とされ、優生思想が根強いためである」
と説明したとのことです。
優生思想とは、人間の中ですぐれた資質を持つ者の環境を良くし、劣った資質を持つ者を排除するという考え方です。
「すぐれた」「劣った」を決めるのは人間の主観です。
お釈迦さまは生きとし生けるものの平等を説かれました。
仏教が広まった日本には、障碍者や弱き者への深いあわれみの心を持つ人はたくさんいたし、今もいます。
しかし、それでも上に記した今回の被害者家族の方が感じている現実がないとは言い切れません。
障碍者が生まれると、家の恥として人に知られないように家族内に隠してしまうことが一昔前まで行われていました。
現在は家庭からも切り離されて施設に隔離されているようです。
隔離からは、人としての心の交流は何一つ生まれません。
差別が生まれるだけです。
日本人の障碍者に対する見方、対応に、このようなことが続いているならば、改めなければなりません。
冒頭の言葉は、日本の社会福祉を切り開いた糸賀一雄氏のものです。
氏はキリスト教徒でした。
言葉が「この子らに世の光を」ではないところに、障害を持って生まれた人たちへの敬愛が込められています。
平成28年11月15日
祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時半から行います。
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