第一土曜日の羅漢拝、石彫会の皆さんと十六羅漢(釈尊の高弟)にお参りします。 |
和合の功徳は僧宝なり
『教授戒文』帰依三宝より
ついこの間扇風機をしまったと思ったら、あっという間に暖房機を出したくなる気温になってしまいました。
朝の坐禅で寒さを感じる季節になると、きまって思い出すのは冬の永平寺での坐禅です。
毎年12月になると、蝋八大接心という一週間起床から就寝まで坐禅をし続けるという大行事が行われます。
当時僧侶となって半年が過ぎたころの私は、古参僧侶や同輩との付き合いが上手くいかず、周囲との摩擦で僧侶としての自身の在り方に疑問を持っていました。
そんな時期にこの大行事に臨むことになり、逆に悩んでるどころではなくなってしまいました。
朝の3時頃に起床して坐禅が始まり、夜9時に就寝するまでわずかな間を挟みながら坐禅を続けます。
一日目は体力で乗り切りました。
二日目は身体にガタが来て気力で乗り切りました。
三日目は体中が痛くなって息も絶え絶えで就寝の時間を待ち望みました。
四日目は痛みが酷く気力も尽きかけてどうやって古参の目を盗んで楽をするかしか考えられませんでした。
五日目、同輩同士で些細なことから言い合いになり、ギスギスした空気で坐禅に臨みました。
自分は、なんでこんな苦役をやっているのかまるで分らなくなり、頭の中はぐちゃぐちゃになりながら坐っていました。
そんな時、ふと「周囲が優しくないのは、自分が周囲に優しくしていないからだ」という思いと共に頭のぐちゃぐちゃがストンと腹に落ち、あんなに辛かった坐禅が憑き物が落ちたみたいに楽になりました。
その後はぼんやりとしながらも落ち着いた心持ちで勤められるようになり、不思議な気持ちで一週間を終えました。
周囲とも落ち着いて付き合えるようになり、摩擦も少なくなっていきました。
私にとって、坐禅がただ退屈な形ばかりのものではないのだと思えるようになったのはこの時からです。
後日、横浜の大本山總持寺で修行するようになってから、後堂(修行の責任者)の野田大燈老師にこの時のことを話しました。
野田老師は
「修行しているとそうした小悟大悟(様々な気付き)をする。自分もある。道を歩むということはこれを繰り返していくことだ。生涯繰り返しなさい。」
というような意味のことを教えてくださいました。
あの時から数えて13年が経ちました。
私のこの道の、最初の一歩の思い出です。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:10月24日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時 (二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています