インド独立の記念碑、インド大門にて |
一月のインド旅行で、中部インドのジャーンシーという都市を通りました。
インド独立運動の聖地ともいえる町です。
ムガール帝国のインドはマハーラージャといわれる領主たちが自分の利権だけを求めて争い、バラバラになっていました。
イギリスはそこにつけ込んで侵略し、莫大な利益をあげるようになっていました。
1857年、イギリスの雇い兵たちが宗教的なことが原因で反抗したことがもとになって、全インドでイギリスに対する大反乱が起こりました。
イギリスによる収奪はインドに広く行き渡り、我慢のできない発火点に達していたのです。
この大反乱では、独立の英雄といわれる人たちが多く出ました。
その中のひとりが、ジャーンシー王国の王女、ラクシュミー・バーイーです。
イギリスに奪われた王国を取り戻すべく戦いの先頭に立ち、勇敢さとすぐれた知略で優勢なイギリス軍をたびたび破りました。
遂に戦場で斃れましたが、敗北必至の苦境にあっても闘志を失わず、果敢に戦ったその姿は、後のインドの独立運動を勇気づけました。
ネルー首相は著書『インドの発見』で
「名声は群を抜き、今もって人々の敬愛を集めている人物がある。
その名はラクシュミ―バーイー。
齢二十のうらわかい女性の身で戦場に仆(たお)れた。」
と称えています。
ジャーンシーの駅前には、武装した騎馬姿の彼女の銅像が建っています。
そして、その近くには、塩を求めて海に向かうガンジー一行の銅像が建てられています。
イギリスの塩税に抗議して1930年に行った「塩の行進」と呼ばれる無抵抗不服従運動の姿を写したものです。
武力によっては適わなかったインドの独立は、ガンジーの平和主義によって成し遂げられました。
その根底に、ラクシュミ―のような勇者たちの活躍によって生まれたインド人のほこりがあることも忘れてはならないでしょう。
平成28年3月15日
祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
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