2011年8月28日日曜日

平成23年のお盆

今年も御先祖様をお迎えするお盆の時期がやってきました。

ここ祥雲寺でも、毎年のようにお墓参りをしてお迎えに来るお檀家さんが大勢いらっしゃいました。


本堂前の広場で迎え火をたいています。


迎えるにあたってお経を唱え法具を鳴らし、

この後全てのお墓をお経を読みながらお参りしてお迎えの礼としています。



庫裏の中。

受付で8月29日に行われるお施餓鬼の案内をしています。


庫裏の中に祀りしている韋駄天さまにお参りされています。



入り口横に祀られた羅漢さま。

今年は節電をしながら近年顕著になってきた夏の酷暑に耐えている分、

日陰の涼しさのありがたみが身にしみて感じます。

羅漢さまもほっと一息ついている様です。



日がかわって8月16日。送り火を焚いています。


数年前まではこの日にとんぼが飛びはじめ、暮れていく夏と秋の訪れを感じる日でもありましたが

近年は遅れて日がまちまちになり、若干の寂しさを感じます。



本堂裏手のミソハギの花。

夏の時期になると長いこと小さな花を咲かせて楽しませてくれますが、

8月後半になるとだんだんと散っていきます。

なりは小さくとも、夏とともに咲き夏の終わりとともに散っていく、夏の花と言えるのでしょう。






2011年8月17日水曜日

平成23年8月朝参りお知らせ


8月13日10時より、本堂前にて迎え火

 東日本大震災から早くも5ヶ月が経ちました。
テレビを付けると、被災地ではボランティアの人たちの手を借りて倒れた石塔を起し、お盆を迎える為の準備をしていました。今年は、2万名余の人々の初盆になります。被災地の人にとってあの惨禍の記憶はあまりに生々しく、涙つきないことでしょう。心から同情し、お慰めを申し上げます。
 あの地震が起こった時、私たちはこれは日本の大きな転換点になると感じました。
 1990年代からの経済の停滞があり、リストラ、失業率の上昇など明るさの見えない社会状況が続いています。政治では、55年体制といわれる自民党中心の政治が、国民のニーズに対応できなくなりました。そして変革の期待を担って登場した民主党政権ではひどい失望を味わっています。
 戦後社会への行き詰まり感があり、私たちの心の中に醸成されていた変革への思いが、未曾有の天災に直面し、より強く意識されたのだと思います。
 行き詰まり感は、これから先は国が衰退し国民も窮乏に向かっていくのではないかという不安感であり、変革を願いつつも先行きがいっこうに見えてこない焦燥感です。
 しかし、ここに来て、私たちがなすべきことがはっきりしてきたのではないでしょうか。
 それは、勤勉、忍耐、協調、団結、信頼、思いやりなど、昔から培われてきた価値観に基づく行動です。
 困難に耐えて頑張っている被災地の人たち、全国各地から駆けつけたボランティア、あるいは不遇をものともせずに団結して世界一になったなでしこジャパン、これらの人々の姿の奥には昔からの美徳が息づいているし、私たちはそのことに共感し感動しています。
 8月15日の何もかも失った時から出発した日本、、原点に還って再出発していく勇気を持とうではありませんか。
 
 平成23年8月15日
                                       祥雲寺住職 安藤明之


18日の観音様の朝詣りは


午前6時から行います。




2011年8月11日木曜日

平成23年初盆施餓鬼

もうじきお盆を迎える時節になりました。
お盆というのは新暦の7月に行われたり、月遅れで行われたりすることが一般的ですが、
もともとは仏教の経典にも出てくる祭日です。

インドでは、4月ごろから7月ごろにかけて雨が多い季節となり、
お釈迦様の時代からこの時期を「雨安居」と言って
仏教徒は極力外出せず集中して修行生活を行う時期としてきました。
この修行生活が終わる7月15日、お釈迦様は供養のために集まった人々に
この修行を終えたお坊様たちに心をこめて供養するよう勧め、その功徳は計り知れないとお説きになられました。
この習慣がやがて、今は亡き先祖や様々な仏様に供養する「お盆」として定着したということです。

祥雲寺では毎年8月7日を、今年初盆を迎える方にお迎えの仕方を説明しご供養を行う
初盆施餓鬼の日としてきました。







天候が不安定な日が続きましたが、夏らしい暑い日になりました。



まず午前中は初盆を迎える方々にお迎えの仕方や心構え、盆棚の造り方の説明を行います。



お昼は僧侶参加者そろっていただきますをします。

不思議なことに粗食というのは、畏まって食べるほうがおいしく感じられるものであったりします。



午後になり、供養の法要「お施餓鬼」が始まります。

導師が施餓鬼棚に供物を備え加持祈祷を行い、亡くなられた方々の供養を行います。



ご詠歌講の皆さんが法要にあわせてお唱えをし、場の荘厳に彩りを加えます。



法要の最後に参詣者焼香となり、法要終わりとなります。



最後に施餓鬼棚に祀られたお塔婆を受け取って解散になります。

とても暑い日の法要となりましたので、入り口で麦茶をお出ししたら皆さん美味しそうに飲み干していました。


2011年7月31日日曜日

平成23年べんてん祭り

遅れてしまいましたが、7月7日に行いましたべんてん祭りの写真を掲示します。




朝方石彫り会の皆さんと共に会場の設営をしています。

祥雲寺では毎年七夕の日にあわせて境内弁天堂にお祀りしている弁天さまのお祭りを行ってきました。



婦人会の皆さんが振る舞いの昼食の準備をしています。



お祭りが始まり、お手伝い頂いているお寺さんと共に住職がお堂に上がります。



法要の最中、長いお経を転読して参拝者の厄難消除を祈願します。



法要が終わると庫裏でもぐさを使ってすりばち灸の時間になります。

法要で使った火でもぐさに着火し、この夏の無病息災を願います。



境内の池に咲いた蓮の花です。

去年はちょうど弁天祭りの日に咲いたのですが、今年は3日遅い10日に咲きました。


2011年7月14日木曜日

平成23年7月朝参りお知らせ


境内の池に咲く蓮の花。昨年より3日遅く7月10日開花。

7月12日、宇都宮仏教会主催の戦災犠牲者追悼法要が、市内宝蔵寺を道場として執り行われました。昭和21年以来毎年、遺族をはじめとして関係諸団体の代表も参列して続けられているもので、昭和40年代までは宇都宮市との共催の行事でした。



太平洋戦争では、日本の多くの都市がアメリカによる空襲を受けました。八万数千人が死亡した昭和20年3月9日の東京大空襲、広島、長崎、の原爆では一瞬にしてそれぞれ十五万人近い人が亡くなりました。7月12日の宇都宮空襲は面積当たりで東京空襲の倍以上の爆弾が落とされ、600人余りの人が死にました。田川の川面には火を逃れようとして水死したたくさんの遺体が浮かびました。戦争はどんな場合でも悲惨なものですが、無差別爆撃の犠牲になった人々にたいし、深い哀悼の意を抱きます。



法要終了後は、参加の仏教会寺院は二手に分かれ、黒崎会長以下は市北山霊園の戦災犠牲者の慰霊塔に詣で、若手は市内で東日本大震災義援の托鉢を行いました。遠く66年前の無辜の犠牲者を悼み、今また、新たなる災禍に対しては、立ち直っていかなければならない人々へ少しなりとも手を差し伸べたいとの思いによるものでした。



8月6日に予定されている恒例の川施餓鬼灯篭流しも、今年は御霊(みたま)祭り精霊供養に加えて、震災犠牲者追悼の行事として行います。もともと灯篭流しは、昭和21年に空襲犠牲者の初盆供養として行われた万燈会の灯篭の一部を釜川に流したことに始まります。戦災と震災、ともに非業に倒れた人々への追悼の祈りをささげる行事ともなりますので、たくさんの方が参加されることを願っております。



 平成23年7月15日



                                       祥雲寺住職 安藤明之



十八日の観音様の朝詣りは


午前6時から行います