2010年2月13日土曜日

平成22年2月朝参りお知らせ


 涅槃会 遺教経読綬(於 祥雲寺室中)
汝等比丘、諂曲(てんごく)の心は道と相違す。この故に宜しくまさにその心を質直にすべし。   [仏遺教経]
   「諂曲」こび、へつらい。 「質直」正直、すなお
 2月15日はお釈迦様が入滅された日、涅槃会です。「仏遺教経」は、急を聞いて集まってきた比丘(弟子)たちになされた最後の説法として伝えられたお経です。
 お釈迦様は弟子たちに向かって、私がいなくなっても、志を持って真実の道を歩みなさいと諭(さと)されます。
 媚(こ)び、へつらいは他人に迎合し、自分の主体性を放棄した生き方です。志を持って生きることとは反対です。へつらいを捨てて誠実に生きなさいとおさとしです。
 遺教経ではこれに続いて、「小欲」と「知足」の法が説かれます。
 欲多き人は自己の利益を求めて、それが満たされずに苦悩することになる。欲望を充たさんがために人に媚びへつらって、自分の本当に生きたいと思う道を歩むこともできなくなってしまう。また五官の欲望に振り回されて道を踏み外したりすることともなる。欲望には自制が必要である。・・・これを小欲として説かれました。
 苦悩から抜け出ようとするならば、現在のものごとを節度と満足をもって受け止めなければならない。心に余裕が生まれ、煩悩の波風に揺り動かされることもなくなる。・・・これを「知足」として説かれました。
 「小欲」と「知足」は表裏一体の関係にありますが、お釈迦様はこの小欲知足を、ただ悩みから脱却するための手立てとしてお説きになったのではありません。欲にとらわれて、自分の道を見失うことを戒め、正直に誠実に生きてゆくことを第一とし、そのための基本の心構え、実践のあり方としてお説きになっているのです。
 平成22年2月13日                      祥雲寺住職 安藤明之
十八日の観音様の朝詣りは
午前6時半から行います。

2010年2月3日水曜日

今年最初の雪景色

昨日は宇都宮でも久しぶりの積雪になりました。
昭和の頃は毎年かなり積っていたように思いますが
平成の二桁以降は降っても積らない年が多く、今年は雪自体無いかもしれないと思っていたので少し驚きでした。




やはり冬の景色はこうでなくては、と思います。
雪かきも毎日のことでなければ楽しいものです。


入り口の梅園に行ってみると
既に写真愛好の人が来ていました。
さすがに反応がいいです。


今年は梅がもう満開になっていたので
きれいな雪中梅になりました。


これを見ると
冬もそろそろ終わりなのだな、という気になってきます。


授業が始まる前の時間で昭和小学校の一年生達が遊びに来てました。
先生が言うには、雪の梅を見せていたらだんだん上に上っていって
遂には受付前で雪合戦になだれ込んでしまったそうです。
子供のにぎわいを見てると、こっちの方まで楽しくなってきます。

2010年1月14日木曜日

平成22年1月朝参りお知らせ



疑いは人間にあり。天に偽りなきものを。
                      {能楽「羽衣」より}

 「羽衣」は、数ある能楽の中でもきっての名曲です。明るく、すがすがしく。晴れ晴れとしてくもりがありません。

 能の羽衣の舞台は、美保の松原です。白砂青松の浜辺、青々と広がる海の彼方には、富士の霊峰が聳え立つ。まさに日本有数の絶景です。白竜という名の漁師が松に掛けてあった美しい衣を見つけ自分のものにしようとします。そこに天女が現れて返してくれるよううったえます。漁師はなかなか返そうとはしないのですが、天女があまりに嘆き悲しむのを見て哀れに思い、天人の舞いを見せてくれるのを条件に返そうと告げます。しかし天女は、衣がなくては舞うことができない、まず返してほしいと言うのです。漁師は返してしまったらそのまま天に昇っていってしまうのではないかと疑いの言葉を投げかけます。冒頭の言葉はそれに対する天女の答えです。

 「疑いの心は人間世界のものです。天界にはうそ偽りはありません。」

 それを聞いた漁師は羽衣を返します。天女は約束通り舞楽を舞い富士の頂きを超え天上へと飛び去っていくのです。

 羽衣伝説は各地にあり、男が羽衣を返さないで天女と夫婦になるというものが多いのですが、能「羽衣」の素晴らしさは、漁師が天女の言葉を信じるところにあります。人間を超えた存在に対する畏敬の思い、神仏への信頼が素直に表れています。

 平成22年が始まりました。天上界だけでなく、私たちもお互いを信じあい、今年一年が晴れ晴れとしたものとなるよう祈っております。

 平成22年1月14日                            祥雲寺住職 安藤明之

 十八日の観音様の朝参りは

午前6時半から行います。

2010年1月10日日曜日

新年おめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いします。
今年がよりよい年となる様、何事にも元気に取り組みたいと思います。


祥雲寺入り口の坂にある梅園を撮ってきました。
今年は暖冬の影響か、梅が花開くのが大分早いようです。


早い梅は昨年年末の内に開花してしまっていました。
こうもなると雪のある冬景色が見たくなってしまいます。

2009年12月14日月曜日

平成21年12月朝参りお知らせ


 先月、チベットの仏像から受けた感銘について記しました。仏像が初めて造られたのは、紀元2世紀頃と言われます。以来、仏像は仏教徒の信仰の中心となりました。
 実は「ほとけ」という言葉はもともと仏像を意味するのだそうです。インドの言葉で、目覚めた人、悟った人を意味する「ブッダ」を、中国では「浮屠」と音写しました。その文字を古代日本人は「ふぉぇとぇ」と読み、それに「目に見える形」を意味する「け」という音を付けて、ブッダの姿、すなわち仏像を意味する言葉ができました。これは先年亡くなった国語学者の大野普先生の説です。
 大野先生はさらに、「カミ」が、「カミナリ」に表わされるような自然の絶大な力をもとにした、只ただ人間を畏怖させる存在だったのに対し、「ホトケ」は人間としてのさまざまな苦しみを救済してくれる存在として、古代日本人の前に現れたと述べています。
 京都、太秦の広隆寺の弥勒菩薩像は国宝指定第一号の仏像です。高校の修学旅行で初めて御像を目の当たりにした時のことを思い出します。静かにほほえんだお顔を拝み、ほほにそっと添えられた指先を見ていると魂がすくい上げられていく思いがしました。
 この弥勒菩薩は7世紀前半に朝鮮半島から招来されたか、あるいは日本で造立されたとされます。いずれにしても百済から日本に公伝されて間もない頃です。古代の人も、私たちと同じ思いで仏像を拝んだに違いありません。
 時を貫いているものは、人の世の苦しみ悲しみを憐れみたまいやさしく包んでくださる慈悲のお姿です。
                         平成21年12月14日  祥雲寺住職 安藤明之


 十八日の観音様の朝参りは
午前六時半から行います