2017年10月22日日曜日

29年10月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内

秋の日の羅漢さま



「悉有仏性」

 
 私は自転車に乗るのが好きです。
補助アリではありますが、自分の力で風を切って走っていく感覚がとても好きです。
時間のある時は郊外の河川敷を一時間ほど走っています。
春夏秋冬それぞれの季節の現れがよく見えて、強く自然を感じられる時間でもあります。

 5月のころ、若葉生い茂る季節、河川敷を何時ものように走っていると茂り育つ若葉が太陽にきらめき、新緑の木漏れ日が鮮やかに川面を照らしています。
そんな時、何とはなしにふっと「世界に仏の命が満ちている、ああ悉有仏性とはこういうことなのか」という想いが浮かびました。

 仏性というのは仏となる要素、それがあらゆる命に備わっているのだという言葉が悉有仏性です。
仏性という言葉は扱いが難しい言葉です。歴代の多くの先達がいろんな意味で使ったため、詳細に定義することすら難しく、曖昧になりかねないため私自身あまり好んで使おうとは思わない言葉でもあります。
しかしこの時は、天地万物あらゆるものがあるようにある、各々の有様にそって正しく育ち芽吹き花開かせている、その正しい命(神羅万象の運行営み)の働きをこそ「仏性」と称するのではないか、そんな風に感じました。

 人間に置き換えるなら、昔読んだベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハン師の言葉が最初に浮かびます。
「ブッダはあなたのなかにいます。ブッダは、呼吸の仕方も、優雅に歩む方法もよくご存じです。あなたが忘れていても、ブッダよ、来てくださいとお願いすれば、すぐに駆けつけてくださいます。」

 坐禅の調身調息調心でよく戒められるのは、強引に心を鎮めようとするのではなく、自分の身・息・心に謙虚に問いかけて、その都度、より正しい在り方を新鮮に習っていかねばならないことです。
強引にやろうとすればかえってそれは遠ざかっていきます。
謙虚に、真摯に整えることで正しい命の働きを促し、はたらかせていくことが坐禅の肝要な所、そこにこそ仏性の働きがあるのだと思います。

 最後に引用します道元禅師の言葉は、これをこそ意味しているのだと私は理解しています。

「ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏のいえになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれ、仏となる。」
『正法眼蔵 生死』
 

                                 祥雲寺副住職 安藤淳之

 

 

一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:10月23日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可) 

     6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
     7時20分~8時    (二回目の坐禅)

場所:祥雲寺本堂一階

用意:身一つで大丈夫です。
    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。


注意:初めての方は最初に指導を行います。
    その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
 
 

 

2017年10月18日水曜日

平成29年10月 観音朝詣りのお知らせ

秋彼岸の本堂前観音様と彼岸花


 アフガニスタンのバーミヤン石窟の大仏像がイスラム教原理主義者によって爆破されたのは16年前のことです。
最近でも、中東の動乱の中で多くの遺跡、文化財が破壊されています。
19世紀から20世紀前半には、ヨーロッパ各国の探検隊が、博物収集の目的で世界中から神像を持ち去り、あるいは壁画を剥ぎ取っていきました。

 自らの信仰、信条のみをよしとして、歴史、文化を異にした人たちの魂が込められた文化財を壊してしまうことが繰り返されているのは悲しいことです。

 東京芸術大学美術館で、「素心伝心 クローン文化財 失われた刻の再生」という展覧会がありました。
バーミヤンなど、おもにシルクロードで失われたり、失われようとしている文化財の再生を試みたものです。
瓦礫等に科学的な分析を行い、スケッチや写真などの記録を基に3Dプリンターなどの新技術を駆使して実物に限りなく近いものを造りあげています。

 失われたものではありませんが、法隆寺の釈迦三尊像も複製されています。像が造られた時の工法や、材料の銅の成分まで調べて造像し、さらに、細かいでこぼこや経年による変色まで写し取っていますので、実物と見まごうばかりです。
それだけでなく、昭和24年の火災で損傷した壁画も再生して周りを囲んでいるので、まるで白鳳時代のお堂にお参りしているようです。

 この複製事業には、富山県高岡市と南砺波市の協力がありました。
高岡は梵鐘をはじめとする銅鋳物の生産地であり、南砺波には井波の木彫があります。
高度で伝統的な技法を伝えている人たちが参加し、芸術家、科学者、先端技術者と力を合わせました。
言ってみれば最新技術と伝統技術の融合によって生まれたものです。

 文化財は、それが存在するところに生きた人々の魂の結晶です。
存在することに真の価値がありますし、あるべき所にあることも大切です。
しかし、現実に失われたり、失われようとするものがたくさんある現在、このような試みも大きな意義があると感じました。

 平成29年10月15日
                                     祥雲寺住職 安藤明之

十八日の朝詣りは午前6時から行います。