苦行後のお釈迦様に乳粥を供養したスジャータの村のストゥーパ |
「憍陳如らの住居の東南に卒塔婆がある。菩薩が尼連禅那河に入って沐浴された処である。河の側の遠からざる所は、菩薩がここで乳粥を受けて食された場所である。」
『大唐西域記』 尼連禅那河の沐浴
二月に行う祥雲寺インド仏跡参拝旅行に向け、先月に続いて大唐西域記から引いてみます。
「調身 調息 調心」という禅語があります。
これは坐禅を行う際の流れを表したものです。
以前ある老師がこれを説明するときに
「心という形を持たない、捉えられないものを安定させるにはどうしたらよいか。心を水のようなものと捉え、その入れ物である体を安定するように調え、内面を整えるために呼吸を調え、そうすることで心を調える。」
と言われていました。
調身、身体を安定させるというのはどういうことか。
それは坐禅の時の足を組み、背筋を伸ばした坐禅の姿勢をとるだけを言うのではなく、普段の生活習慣や食習慣を含めた生活全般を捉えた言葉になります。
日日の生活を改め程々の睡眠をとり、美食暴食極端に走ることなく節度のある食事をとる。
言えば極々当たり前のことでありますが、まずこの当たり前のところから入るのが「調身 調息 調心」の第一歩となります。
かつてお釈迦様が覚りを求めて6年間の苦行を行い、苦しみは人を浄めず、知慧を生むことはないと述べられて、苦行生活を終えられます。
苦行でやつれた体を尼連禅那河(ネーランジャヤー川)の流れで浄め、近くの村娘スジャータから乳粥の供養を受けました。
この供養を受けて体は力を取り戻し、以後菩提樹の下で一週間の坐禅を修行されて覚りを開かれました。
この成道の故事に則り、禅宗の修行道場では12月の1日から8日は坐禅の修行期間とされます。
七日目は徹夜で坐禅を行い、最後は法要を行って、その中で五味粥という粥を少しだけいただきます。
それはスジャータの故事に想いを馳せ、やつれた体に染み渡る滋味をお釈迦様の覚りとして味わう行為と言えるのかもしれません。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:11月23日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時 (二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
※来月は年末になりすぎてしまうので第3週の23日(月)に行います。